「私は体制を打破するために来た普通の人間」
コメディアンから俳優、そして大統領へ。さながらドラマのような転身を遂げたウォロディミル・ゼレンスキーは、2019年4月19日のウクライナ大統領選挙公開討論会でこう述べた。
この発言には、ウクライナが汚職に満ちた社会だという背景がある。大統領選挙に出馬した当初、泡沫候補扱いだったゼレンスキーは、汚職や政治腐敗の撲滅を公約に掲げ、じつに73%もの票を獲得して圧勝。政権に不満を抱く有権者に対して、アウトサイダーの自分だからこそ現体制をぶっ壊せる、とアピールしたわけだ。
「ぶっ壊す」と聞いて、第87代内閣総理大臣・小泉純一郎の「自民党をぶっ壊す」を思い出す人も多いのではないか。このようにインパクトがあり、メディアで引用されやすい短い発言のことを「サウンドバイト(Soundbite)」という。
たとえば、アメリカ合衆国第44代大統領バラク・オバマの「Yes we can」は、サウンドバイトの好例だ。言葉の力で人々を引き付けるためには、こういったシンプルで記憶に残るフレーズが欠かせない。
ゼレンスキーの発言もまた、サウンドバイトのオンパレードだ。他国の議会での演説はもちろん、メディアのインタビューでも、自身のSNSでもそう。長ったらしい美辞麗句より、端的で飾り気のないひと言のほうが、聞き手の心に刺さりやすいことを彼は熟知しているのだろう。

現代の名言製造機。ゼレンスキーの演説に学ぶ、人を動かす「言葉の力」
ロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻が続く中、ウクライナのゼレンスキー大統領はSNSやテレビなどのメディアを通して、国内外へさまざまなメッセージを発信しながら戦い続けている。そんなゼレンスキーの言葉に注目した書籍が『ゼレンスキー勇気の言葉100』(ワニブックス)だ。自国民のみならず世界をも動かす、若き大統領の「言葉の力」を考察する。
「サウンドバイト」の達人・ゼレンスキー
「多くの子どもの心臓が止まった時、私の年齢も止まってしまった」
ビジネスの世界では、さまざまな業種のマーケティングに「ストーリーテリング」と呼ばれる手法が活用されている。これは、自社の商品や企画などを紹介するときに、物語やエピソードを交えて語ることを指す。
たとえばコマーシャルでその商品を買うと、どんないいことが起こるのかを物語として描いたり、その商品にまつわる自分ならではの体験談を語る、といった具合だ。このように、伝えたい事柄を物語化して表現すると、聞き手により強い印象を与えられる。
ゼレンスキーは、このように語り手の心情を聞き手に想像させるストーリーテリングもうまい。その一例が、2022年3月8日に行われたイギリス議会での演説における彼の言葉だ。
「午前四時、ミサイルが飛んできた。それ以来、眠っていない」
眠っていないのは、ロシア軍の攻撃に対する怒りのためか、それとも不安や恐怖で眠れないのか。いずれにせよ、ゼレンスキーのこの発言は、聞き手の共感を生むと共に、冷酷なプーチン大統領に立ち向かう「普通の人間」らしいリーダー像を印象付けた。
「多くの子どもの心臓が止まった時、私の年齢も止まってしまった」
これは、2022年3月16日に行われたアメリカ連邦会議での演説の言葉。ロシア軍による無差別攻撃によって、子どもたちの命まで失われていることを知れば、誰でも心が痛むものだ。さらに「子ども」というワードを含むこの発言は「他人事と思わないでほしい」というメッセージを、国際社会に向けて発信しているようにも感じられる。
相手に合わせて話す内容をカスタマイズ
日本の政治家が選挙演説を行うとき、地域によってご当地ネタを盛り込むケースは少なくない。ゼレンスキーの場合、アメリカやイギリス、ヨーロッパ諸国、日本など、十数カ国の議会にオンラインで登場した際、国ごとに話す内容を大幅に変えていた。たとえば2022年3月1日のEU議会における演説では、以下のように発言している。
「砲撃が続いているので、数分しかお話しできない」
ヨーロッパ諸国は、第一次・第二次世界大戦を経験し、冷戦後もロシアの脅威にさらされてきた。そんなEUに対して、戦争の真っただ中にある国の重苦しい空気を伝えるとき、このフレーズほど効果的な言葉はない。
ゼレンスキーは常に、他国のリーダーや国民の心に、より響く表現を吟味しているのだろう。事実、イギリス議会での演説では、徹底してイギリス人を想定したメッセージを発信している。
「生きるべきか、死ぬべきか、答えは明らかに『生きるべき』だ」
「私たちは諦めない。もちろん、皆さんの助けを借りて」
1つ目の言葉は、イングランドの劇作家、ウィリアム・シェイクスピアによる悲劇『ハムレット』の名言「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」を引用したもの。その答えとして「生きるべき」だと続けた。
そのうえで、第二次世界大戦中のイギリス首相、ウィンストン・チャーチルの名言「私たちは海岸で戦う、水際で戦う、平原と市街で戦う、丘で戦う。私たちは決して降伏しない」も引用。さらに「皆さんの助けを借りて」と付け加え、支援を求めた。
イギリス国民にとって馴染み深い偉人の名言を巧みにアレンジする技術。これはゼレンスキーがコメディアンや俳優のキャリアを通して「どうすればお客さんに受けるか」を考え抜いた結果、培われたものなのかもしれない。
「考え方」×「熱意」×「能力」
かつて俳優だったゼレンスキーが、ウクライナ国内で有名になったのは、2015年から2019年に放送されたコメディドラマ『国民のしもべ』に出演したのがきっかけだった。同作でゼレンスキー演じる高校教師は、政治腐敗を非難する動画が話題となって、トントン拍子に大統領に。
事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもので、その後、政党を結成したゼレンスキーが本当に大統領に就任し、自国民と国際社会を味方につけて、今もロシアに対抗し続けている事実には、ただただ驚かされる。
はたして彼は、今後も大統領としての役割を果たし続けられるのだろうか。この問いに対する答えとして、書籍『ゼレンスキー勇気の言葉100』の「おわりに」の中で、以下の方程式が紹介されている。
「考え方」×「熱意」×「能力」=「人生・仕事の結果」
この式は足し算ではなく掛け算なので、「考え方」「熱意」「能力」のどれかひとつでも欠けてしまうと、「人生・仕事の結果」の数値はゼロになってしまうのだが、ゼレンスキーの場合はどうだろう。
誰とでも分け隔てなく会話をする、気さくで謙虚な大統領の姿=「考え方」は、前述のドラマの中でも描かれているが、これは現実でも変わらない。
逆境にめげず、大国ロシアを相手に真っ向から立ち向かっていく「熱意」は、世界中が目撃しているとおりだ。
そして3つめの「能力」だが、特筆すべきはゼレンスキーの伝える力だろう。自身のTwitterやInstagramといったSNSを駆使し、相手によって文言を変えて、的確にメッセージを伝える――。
ま
さに国際社会を動かしていくにふさわしいリーダーと言えるのではないか。
写真/AFLO

<書籍情報>
『ゼレンスキー勇気の言葉100』
ワニブックス・刊
清水克彦・著
1,430円 税込
ウクライナ情勢


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