突如、月給7000円生活へ暗転
その後、HGのブームは落ち着いたが、コンビでの活動は増え、お笑い以外にプロレス興行「ハッスル」ではレスラーとしても活躍。出身大学が違うふたりが出会ったのもプロレス同好会だった。数年の時を経て、お互いの趣味を仕事にできた。
「ファイトマネーがけっこうよくて、2007年あたりまではちょっと広めの家に引っ越したり、車を買ったり、それなりに順調でしたね」
しかし、芸人として足場を固めつつあった2009年にまさかの暗転。HGが全治8カ月の大ケガを追う。さらにその2カ月後、追い打ちをかけるようにハッスルが運営会社の資金難により、興行開催もできなくなった。
「月給7000円! 人生最大の経済危機ですよ。子どもも生まれたばかりで……。相方が売れたからという理由で吉本興業から特別に借金ができたんで、それでしのいでいました。
HGがケガで動けないから、自分ひとりでなんとかしなきゃと手当たり次第オーディションを受けるんだけど、落とされまくる日々。
その頃の僕の持ちネタは、市川海老蔵さん(当時)のモノマネ、市川AB蔵くらい。相方の結婚式で、丸坊主の礼服姿でスピーチ練習をする僕を見たケンコバ(ケンドーコバヤシ)さんが『お前、市川海老蔵みたいなってるやんけ』と突っ込んでくれたのがきっかけで生まれたネタです。
石井明美さんの『CHA-CHA-CHA』を歌い、サビの部分で『お~いお茶』と言うだけ(笑)。展開にとぼしく、オチも弱いんで、テレビで使ってもらうのは難しかったですね」