死の接点が顕にした“気薄な現在の葬儀”

火葬後の骨上げまで立ち会う人は、身内でも限られた人々だ。はじめての骨上げは祖父母だという人は多いだろうが、その場合の喪主は親であり、自身が幼いほど詳細な記憶が残りにくい。ましてや、10代で進学や就職などで実家を離れれば、地元の納骨事情を周囲の話から察する機会も激減する。

「部分拾骨の中部地区出身の方のお話です。その方が骨上げに立ち会ったことがあるのは全部拾骨の関東のため、それが“当たり前”と思っていて地元が部分拾骨と想像すらしてなかったそうです。骨壷を見て疑問に思ったのは父親の葬儀の夜で、文化の違いを事前に知っていれば全部拾骨をしたかったと言っていましたね。

また、ずっと部分拾骨の文化圏に住んでいる場合でも、当事者になったら感情的にお骨を火葬場に残すことに耐えられない人からも話も聞きました。その方は火葬場に戻り、もうひとつ骨壷を手に入れて全部拾骨されています。文化の違いは尊重すべきことですが、拾骨で大事なのは遺族が納得するか、しないかですね」(長江さん)

長江さん、鵜飼さんともに残骨灰の課題が目立つようになった理由のひとつに、就職や進学、また結婚による人の移動で葬送儀礼の「文化の混在化」により気づく人が多くなったことを挙げる。さらに、鵜飼さんは「人生において葬儀に参列する回数の減少も関係する」指摘した。

「家族葬が増えて参列する回数が減り、新型コロナウイルスの影響で火葬場に出入りする人数が少なくなったことも重なり、弔いが形骸化した印象です。葬儀が家族葬で閉じた空間になる弊害は、死に対するリアリズムを経験する機会が減ることにつながる。

家族葬が増える前の2005年くらいまでは、近所や会社の人など年1度くらいは参列することも多かったんじゃないでしょうか。“皆のおかげで弔われている”と学ぶ機会だったのですが……」(前出・鵜飼さん)

町内会が協力するような葬儀は、都心部では失われた文化になっている。そして、コロナ禍以降、2022年は特に著名人の訃報が続いたが、近親者のみで葬儀が執り行うのが主流で、近年はワイドショーで大々的に葬儀の様子が流れることなどは稀だ。
放送の是非があるとはいえ、視聴者にとっては葬送儀礼を垣間見ることで、慣れ親しんだ人の喪失を実感するひと区切りの機会でもあった。
このように、死との接点は年々体感しにくくなっている。

一方、多くの人がコロナ禍により日常生活で死を身近に感じる時期にさらされてもいた。死生観がねじれた構造にある中で、ニュースになった残骨灰。
そういえば、2022年10月にNetflixで公開された『ギルレモ・デル・トロの驚異の部屋』の1話で、借金苦にある登場人物が墓暴きをして遺体から金歯を盗むシーンがあった。残骨灰から有価金属を選り分け売却することは、はたしてこれと同じことなのか。

#2「団塊の世代800万人の死が目前に。火葬代費用は税金で補填されている現在、火葬後の残骨灰から金歯や貴金属を“採掘”されるのは避けられない?」はこちら

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取材・文・撮影/Naviee