約束された場所、渋谷

高橋氏が満を持して訪れるのは渋谷。渋谷との縁は中学のときに生まれた。当時、千歳船橋に住んでいた高橋氏は、港区の私立中学に入学し、下北沢駅で乗り換えて渋谷に出ることになったのだ。もっとも当時はスクランブル交差点もまだなく、今もあるのはハチ公の像だけだ。しかし

そこは約束された場所だった。たくさんの作家たちが、理由もわからないまま、そこについて書きたいと思う場所だった。(渋谷 天空の都市と地下を流れる川)

明治初期、渋谷はまだ、武蔵野の深い森。その森の家にすみ、近隣を歩き回った国木田独歩が書き上げた作品が傑作「武蔵野」。つまり渋谷は日本近代文学発祥の土地だったのだ。

時代は下っても渋谷は「物語」の土地であり続ける。庵野秀明氏によって映画化された『ラブ&ポップ』(村上龍)、こちらも映画になっている『蛇にピアス』(金原ひとみ)、そして村上春樹氏の『1Q84』。
そうだ、言われてみると、ソフィア・コッポラ監督の映画『ロスト・イン・トランスレーション』も渋谷を主な舞台にしていた。

当然ではないか。ここは、どんなことでも起こり得る場所なのだから。(渋谷 天空の都市と地下を流れる川)

高橋氏はこの本のまえがきの最後でこのように綴っていた。

この本を読んで、みなさんが、みなさんの「TOKIO」について、思いを馳せてくれるなら、そして、頁を閉じ、久しぶりに歩いてみようかと思ってもらえるなら、それ以上の喜びはありません。

本書を読んで街を歩くと、自分の「TOKIO」(それは東京に限らずどこにでもある)がきっと見えるだろう。

実は「武蔵野」は本書の通奏低音にもなっている。今でこそ武蔵野というと、中央線の吉祥寺あたり、まさにジブリ美術館のある三鷹の森のあたりからはじまるイメージだが、高橋氏は明治神宮がすでに武蔵野であることを発見。その原野はもともと独歩の歩いた渋谷あたりまで広がっていたのだ。

そして「武蔵野」は、今では意外にも意外な形で、東京の、日本の中心に保存されている。高橋氏はあとがきというには長い、「皇居 長いあとがき」でその地を訪れ、御茶ノ水からはじまった高橋氏の「TOKIO」は、ひとまずゆっくりとその円環を閉じていく。

失われたTOKIOを求めて (インターナショナル新書)
著者:高橋 源一郎
高橋源一郎が教える「最高の街の見かた」_b
2022年4月7日発売
880円(税込)
新書判/192ページ
ISBN:978-4-7976-8097-3
作家、高橋源一郎が、コロナ禍と五輪騒動の2年間、静かな東京の街を歩きまわった。
6歳のとき、夜逃げ同然で東京に出てきた作家は、この大都会で数十回の転居を繰り返しながら、街の変遷を見続けてきた。半世紀を経たいま、作家は新トキワ荘で赤貧の少年時代を、御茶ノ水で学生運動の時代を回想し、大晦日には閑散とした明治神宮を散策する。ジブリ美術館で宮﨑駿との、渋谷川で庵野秀明との交友を懐かしく思い、皇居では昭和天皇の語られなかった人生に思いを馳せる。時の古層を垣間見せる重層都市、東京の尽きせぬ魅力を達意の文章で愉しむ東京探訪記。
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