父親、石田純一との再会
「幼い頃から、テレビに『石田純一』が映っていると母から『パパだよ』と教えられていたし、月々10万円くらいの養育費が振り込まれていたから、存在も名前も知っていた。でも『テレビの中の人』という印象で、『父親』という実感はなかった。
初めて父と会ったのは、16歳の時。父の姉でジャズピアニストの石田桃子さんから母に連絡があり『こんど弟がコンサートに飛び入り参加するから来てくれ』と声をかけていただき、会場に行ったのです。そこで初めて父と会ったのですが、『父だ』という実感や感慨ははなく、『あ、芸能人だ』と思ったことを覚えています。それまで、手紙が来たことも、電話で話したこともありませんでしたが、不思議と『棄てられた』という気持ちや『恨み』のようなものはなく、淡々と『連絡できなかったのは、忙しかったからだろうな』と思っていました。でも、父との出会いは、間違いなく、僕の人生の一回目のターニングポイントとなったと思う。
親子としての初めてのきちんとした対話はその翌日でした。それまでに交流がなかったこともあり、話すこともなくて……。会話がない中で『将来どうすんの』と質問され『なんだ偉そうに聞きやがって』と思いながら『いやバンドとかで食っていこうと思ってるんすよ』って言ったら、バンドなんかダメだって。
なんでダメなんだよジジイ、とか思うじゃないですか。そうしたら『俳優になってドラマに出た方がいい』と助言を受けて。それで今に至ります」
父のアドバイスにより、俳優の道を選んだいしだ。だが、ほどなくして、女性誌により「石田純一に隠し子」とスクープされる。当時、トレンディ俳優として一時代を築いていた37歳の石田は、現在でいうならば小栗旬(39)レベルのトップ俳優。その人気者に突如ふってわいた「スキャンダル」は世間を大いに騒がせた。だが、その騒動で父子はつぶされることなく、いしだは、父の元で、一世を風靡する人気俳優となるのだ。
「島で川の水を汲んでいた生活から『純一ファミリー』となったことで、一晩で何万円もするワインを開けたり、焼き肉屋で何万円も使う生活をするようになった。そしてそのまま人気俳優に……。
お金の感覚がないまま大金を手にしてしまったので、いまだに持ち逃げされたりとかの金銭トラブルが絶えないのかもしれません」
(♯2に続く)
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
撮影/撮影/Soichiro Koriyama