若いスタッフにも喜ばれる老舗感

マスターから教わったことは何かと尋ねると、優しさと厳しさなのだと伊藤さんは言う。

「晩年はよく夢を売っているんだということを言っていました。子どもが好きな人なんですけどね、お子さんがいらっしゃると帰りにそっとバナナをお土産に持たせたり。もちろん商売なんですけど、本気で優しくあろうとしていた」

その一方で、店に合わないお客は来なくていいという厳しさもあった。店の中では誰しもが平等でいられるような気配りは、伊藤さんも欠かさない。

「うるさすぎるとか、スタッフに理不尽な態度をとるお客さんには注意することもあります。でも、注意したお客さんって意外とまた来てくれますね。フォローが上手なスタッフが声掛けしてくれるからかもしれません。そんな風に、向いている役割ってありますよね。お酒を持っていくのに向いているスタッフ、爽やかなモーニングのほうが合うスタッフっていう感じで。マスターはそういうバランスを大事にしていたと思います」

かといって何もかもをそのまま踏襲しているわけでもない。例えば、マスターが嫌がったバイトの掛け持ちを伊藤さんは認めている。アルバイトは以前より若い世代の応募が増え、掛け持ちを希望する人も多いからだ。

「今では掛け持ちも普通だし、本人にとってはそれがリスクヘッジでもあるし止められないですよね。ただ、案外昔ながらのやり方のほうが新人さんにも老舗っぽいと喜ばれる場合もあります(笑)。あまりフラットに今っぽくやってもつまらないみたい」

働き方も変わる中での常連客への対応は、主に智恵さんがフォローする。

「あのお客さんはここの席とか、どの新聞を読むとかね。神保町って意外と女将さん、ママさんが強いお店が多いですね。男性だけだと店を守るには厳しさが足りないのかもしれません。清潔面やスタッフのケアもバランスが取れます」

神保町の名喫茶「さぼうる」の事業継承物語。時代とともに変わっていくこと、守り続けること_9
マスターとの思い出を振り返る伊藤さん