刑の執行というより、おくりびと

泉井のひとまわり上の世代の元刑務官で、『囚人服のメロスたち』の著者でもある作家の坂本敏夫は「かつてはもっと真剣に死刑を考えていましたよ」という。

1960年代くらいまでは、刑務所所長は死刑囚に対する恩赦の上申書を必ず法務省に出していたという。

「それが、却下されて執行命令が来ると、所長は自室に呼んで『残念だが君は明々後日……』と告知をするんです。当時は当日ではなく、告知から二日後に執行となった。そしてそこから厳粛な儀式が始まります」

1955年に大阪拘置所の玉井策郎所長が、告知から刑の執行に至るまでの48時間の会話を記録として残している。1日目は恩赦の上申が却下されたことと、二日後に受刑者に死刑が執行されることを伝える。そこから教誨師を引き合わせ、送別の茶会を行う。

2日目には俳句会をやり、親族との最後の面会を行う。執行日は、朝食後に僧侶の勤行を受け、他の死刑囚たちに見送られて刑場に向かうのである。

坂本は、それは刑の執行というよりは、おくりびとの世界だったと言う。

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元刑務官で作家の坂本敏夫氏

「死刑囚は自分を求刑した検事と握手をし、検事もまた自分の下した求刑を受け止めるのです。私も50年以上前に大阪拘置所で初等科研修を受けたときに、『拘置所の所長の仕事で一番大切なのは死刑囚との面接だ』と聞きました。

しかし、もう今、死刑囚と面接する所長はいません。そして今の所長は恩赦の上申もしません。それをすれば、人事で飛ばされてしまうからです。かつては皆が、国家が、人の命を奪う死刑に真摯に向き合っていた。

そこからの大きな劣化を憂いていたのに、あの葉梨発言はふざけるなですよ。法務大臣というのは、彼が言うような軽いポストではなくて、強大な権力が与えられます。法相ならば今の入管の取り組みなど、やるべきことは山積みだし、問題のある刑務所、拘置所、少年院など、現場を全部見てもらいたいですよ」

二人の元刑務官には別々に取材をしたのだが、通底していたのは、言葉だけではなかった。

泉井は今、各刑務所から知的制約のある出所者を受け入れる施設の橋渡しをしている。出所者は、昼間は作業所で働き、夜はグループホームというルーティーンを繰り返している。

「出所して悪い友だちのところに行って再犯に走る人もいるんですが、隔離することでいい結果を生むことがあるのです。なぜ罪を犯すのかというと、知的制約のある人たちは障害年金を親や友だちに取られてしまうケースが多いんです。

それがそういう人たちから隔離すると、ほとんど犯罪はしません。次は高齢者や外国籍の出所者の支援をしたいと思っています」

坂本はNPO法人こうせい舎を立ち上げている。塀の中にいる受刑者たちからの投稿で成立させる「こうせい通信新聞」を年に三回の割合で発行している。 「こうせい」はもちろん「更生」の意味である。

人生再建のための情報紙と銘打たれ、全国の刑務所に向けて発送され、受刑者等専用求人誌「チャンス」を紹介している。コロナで運営は厳しいが、それでも継続の意思は堅い。

次期法相は元刑務官のこれらの声と行動をどう受け取るか。大臣が死刑執行を笑いのネタとして自虐することを、少なくとも恥と思うことを泉井も坂本も望んでいる。

取材・文/木村元彦