極貧の大阪インディーズ時代

―――青春っぽい……。大阪時代、ほかにはどんな先輩がいたんですか。

友保 BODY&SOULさんっておって、もう辞めはったんですけど、爆裂ヤンキーでな。

小林 ヤンキーやったな。

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―――ヤンキー多いですね。

友保 そやねん。吉本から離れてインディーズに行けば行くほどヤンキーが多くなってくる。BODY&SOULさんはネタもおもろかったし、飲んでてもおもろかったな。ライブの打ち上げで瓶ビールをケースごと頼んで、店員さんに「そんなに飲んで大丈夫?」って心配されたら「ええねんええねん、俺ら自衛隊やから!」って変な嘘ついてたわ。

―――みんなお金がないと打ち上げの店を選んだりするのも大変じゃないですか?

友保 なんかあるんですよ、安い店が。

小林 安い店を見つけるヤツがおるんですよ。鳥貴族のオープニングセールとか。

友保 ああ、あれな。

小林 オープンの日は半額なんで。「あっちに新しいトリキができたぞ」って言うて、みんなで行ってましたわ。

―――当時の先輩は、今も続けている方もいるんですか?

小林 もうほとんど、辞めてますね。

友保 当時お世話になった鳥溶岩って先輩もね、辞めちゃったんですけど。どっちもめっちゃ好きやったんすよ。ごっつおもろいし、ええ人で。

小林 若手はみんな外でネタ合わせしてたんすけど、あの人らは大阪ビジネスパークのミスドのテラス席でネタ合わせしてて。一回行ったら、鳥溶岩さんのふたりがテラス席で『孫子の兵法』読みながらサッカーの布陣を考えてたんすよ。

友保 めっちゃおもろかったな。当時の(サッカー日本代表監督)オシムにめっちゃ文句言うてな。

小林 『孫子の兵法』を読みながら「こうすべきや」って。