不登校は悪ではないが、
社会で生きていく力を考えると…

私としては、必ずしも親だけの問題ではないと思っている。社会に蔓延する事なかれ主義や管理主義がそれらを助長している面もあるだろう。あるいは、家庭の価値観やライフスタイルの多様化によって、家庭の温度と、学校の温度と、社会の温度に大きな差が生まれ、その温度差についていけない子供が増えているという側面もあるかもしれない。

何にせよ、社会は猛烈なスピードで多様化、複雑化しているのに、子供を取り巻く環境は逆に狭まっているとは言えるのではないだろうか。経済格差やコロナ禍がさらにそれに追い打ちをかけているともいえる。

こうした中で、不登校の子供たちが何を失っているか。詳細は、拙著『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)でフリースクールに通う子供たちの実態を詳しく紹介しているので、参考にしていただきたい。

私は不登校がかならずしも悪いものだとは思っていない。様々な事情で学校を休みたくなる時や、合う合わないはある。ただし、それと、社会で生きていく力をどうつけさせるかという問題は別物で、切り分けて考えるべきだろう。特にグローバル化した競争社会で生きていくには、相応の生きる力が求められる。

フリースクールに焦点を当てて見えきたのは、親の子供を大切に育てたいという気持ちと、いずれ自立して生きていかなければならない子供との間に広がる深い溝だ。親が子供に愛情を注ぐことは歓迎すべきだが、その「愛し方」については一考の必要がある。

親の愛情とは何なのか、本当の意味のやさしさとは何なのか。

社会で生きることが困難になっている時代だからこそ、その意味をもう一度議論し直す時期にきているのかもしれない。

取材・文/石井光太