世界を俯瞰すれば見えてくる
「クソどうでもいい仕事」の発見

ひとつの世界があって、それをある人間が観察しているとします。

そこでは人はあくせく朝から晩まで仕事をしています。しかし、観察者の目には、その仕事のかなりの部分がなんの意味もなく、たとえば、必要のない穴を掘ってはひたすら埋めているとか、提出後すぐに保管されて二度とみられることのない書類をひたすら書いているとか、そんな「仕事のための仕事」に勤しんでおり、ほとんど仕事のふりをしているようにしかみえません。

そのような仕事がなくても、この世界で生まれている富の水準は維持できるだろうに。ところが、こうした仕事をやっている人は概して社会的な評価が高く、それなりの報酬をもらっています。

それに対して、社会的に意味のある仕事をやっている人。おそらく彼らがいなければこの世界は回っていかないか、あるいは多数の人にとって生きがいのない世界になってしまうような仕事をやっている人たちは、低い報酬や劣悪な労働条件に苦しんでいます。しかもますます、彼らの労働条件は悪化しているようなのです。

仕事の効率化が進んでもいまだに過労の問題は根強い
仕事の効率化が進んでもいまだに過労の問題は根強い

観察者は、いったいどうしてこんなことになったのか、調べてみようと思います。
まず、いまのこの状況を100年前の視点からみるとどうなるか、検討しました。

すると、おおよそ100年前には、働く人たちは組合を組織して、賃上げよりも、労働時間を短縮すること、自由時間を獲得することに重きをおいていたことがみえてきました。
そしてその根底には、労働から解放されたいという動機があることがわかりました。

そしていまでもとても尊敬されているその世代随一の経済学者も、100年後には、技術の向上やそれに由来する生産力の上昇によって、人は一日4時間、週3日働けばすむようになっていると予言しています。