やっていない罪を認めたら、自分に不誠実になってしまう
──2000年の冬、この時期が角川さんにとって最もしんどい日々だったと思います。懲役4年が求刑され、さらに胃がんも宣告。それでも『たかが刑務所、たかが胃がんじゃないか、そんなことでいちいち驚いていたら、存分に生きることができないじゃないか』という言葉を残しているのですが。
「それは福田和也(文芸評論家)に対して残した言葉です。彼がその時期、私を訪ねてきたのだけども、現実に刑務所に収監されている角川春樹を見てしまった。しかも、胃がんであることも知ってしまった。自分にとって親しい友人がこのまま刑務所で死んでしまうかもしれない、二度と会うことができなくなるかもしれない……福田和也はそういう想いに駆られたのでしょう。
たぶん、訪ねてきた時は多少なりとも私を励まそうと思っていたはず。しかし、現実の角川春樹を観てしまった瞬間、逆に自分が落ち込んでしまったというね。だから、〝たかが刑務所、たかが胃がん〟だと言い放ったんです。つまり、彼を慰める意味合いのほうが強かった」
──自分を鼓舞するために放った言葉ではなかったのですね。
「振り返ってみれば、もちろん、あの時期はしんどかったですし、〝まいったな〟と正直、実感していました。なにせ刑務所、胃がんだけじゃなかったですから」
──他にも?
「角川春樹事務所の倒産危機です。いつ会社が倒れてもおかしくない状況でした。それこそ収監、胃がん、倒産危機と同時期に3つも重なれば、いくら私でもへこむ。
しかも悪いことは重なるもので、胃がん宣告の後に腸閉塞も起こしていましたし。結局、にっちもさっちもいかなくなっていたので、白石慈恵さん(真言宗御室派観音院住職)に電話したんです。白石さんは観音様からのチャネリングを開いている人なんですよ」
──観音様とお話ができる?
「そうです。白石さんはそのような悩みの相談を受けると、決してご自分の意見を言わない。あくまでも観音様はこうおっしゃっていると伝えてくれるだけなんですね。で、白石さんは私に告げました。〝あなたに越えられない試練は与えられていない〟と。
これはでも、他の宗教、例えばキリスト教でもよく使われ、聞く言葉なんですよね。そういう意味では、目新しさのない言葉でしたが、現実に3つも苦難が重なっていたあの時期においては、素直に受け入れることができたんです。むしろ、当時の私からすれば、救いの言葉でもありました。
その時期ですよ、福田和也が訪ねてきたのは。落ち込んでいる彼に対し、越えられない試練はないのだから、〝たかが刑務所、たかが胃癌じゃないか〟と励ますように言ったわけなんです」
──でも、なぜに越えられない試練はないと素直に思えたんですか。私だったら、そんな『絶望3大苦難セット』を目の前にしたら、ほとほと精神が疲れ果て、乗り越えるのは無理だと諦めてしまいます。
「刑務所は実際に収監されてみると、イメージしていたより、もっとひどかった(笑)。自由がないのは当然として、刑務官の嫌がらせだったり、受刑者同士の足の引っ張り合いだったり。それでも初犯だし、少しの間だけ辛抱したら、さっさと出られるだろうと思っていたんです。
弁護士も問題を起こさなければ、それこそ刑務官の挑発の罠に引っ掛かってしまい、所内で暴力事件でも起こさない限り、早めに出られるんじゃないかと言っていたくらいなんですね。でも、結局は満期近くまで収監されることになった。理由は徹底的に戦ったからです」
──当時、関税法違反・業務上横領は絶対に認めないという姿勢でしたよね。
「さらにいえば、2000年8月かな、私の裁判記録を記した『推定有罪』(濱崎憲史・濱崎千恵子、角川春樹事務所)を出版した。司法側からすれば、〝なんて本だ、角川春樹はとんでもない男だ。我々に難癖、いちゃもん、逆らおうというのか〟といったところですよ」
──大人しくしていればよいものを、という感じですか。
「そうそう、そうです。まあ、事件当初から検事にも〝罪を認めれば、執行猶予になりますよ〟と言われていましたし。この言葉、非常に魅力的でね(笑)」
──少し心が揺れたけども、背を向けた?
「ええ、拒否しました。なぜなら、自分はやっていないんですから。それなのに受け入れたら最後、自分の矜持は消え失せると思っていました。角川春樹が角川春樹でなくなる。だから、一貫して拒否したのです。
ましてや、認められないからこそ戦っているのに、執行猶予を餌に従ってしまったら、それまで自分が主張してきたこと、言ってきたこと、いや、言い続けてきたことが不誠実になってしまう」
──繰り返しになりますけど、やはり、不思議です。刑務所の中で閉ざされたひとりぼっちの環境に追いやられた上に、『絶望3大苦難セット』を背負っていても、なぜに〝越えられない試練なんかない〟と思えたのか。
「刑務所での私に対する刑務官や受刑者たちの嫌がらせは日常茶飯事で、最初の頃は面食らいました。私にも感情はありますし、ついカッとなる場面もあった。でも、弁護士が言っていたように、相手を殴ろうものなら、懲罰房行きになる。懲罰房2回で刑期は満期になってしまう。
さらに問題を起こすと、今度は刑期が重なる。そういう現実を前に、当時の私はどんなに理不尽な状況だろうと、耐え続けるしかないと覚悟しましたね。では、どのようにして耐えることができたのか」
──教えてください。
「あの頃の私は、常に日々の現実を前にし、いま目の前で起こっていることはすべて〝過去の出来事〟であると言い聞かせていたんです。己の意識を未来に飛ばすというか」
──未来?
「ええ、未来です。例えば、刑務官が私を怒らせようとして暴言を吐いたとしますよね。そのことで私の感情が荒れる。殴りつけたくなる衝動にも駆られる。だけれども、意識は未来にあって、この生意気な刑務官と向き合っている自分は〝過去の私〟なんだと思うようにしたわけです」
──未来から俯瞰して自分の姿を眺めているから、今まさに刑務官と向き合っている角川春樹には何の感情も湧き出てこないということですね。
「だから、腹が立つこともスルーできて耐えることができた。それと、刑務所では読書と俳句を作ることが許されていたことも耐えることができた理由です。結局、獄中で2冊ほど句集を出すことができた。周囲がいくらこちらの感情を揺さぶろうとも、読書と俳句、この2つがあったおかげで耐えることができたと思います」
──耐えているうちに、満期近くの2年5か月が経っていた、と。
「耐えて、耐えて、耐え抜いた2年5か月と13日です。考えてみれば、獄中で経験したような絶望とか踏みにじられ方、挫折感なんてものは、それまでの人生でもあったことですし。母の存在も大きかった。
当時、母は病を患っていて体調が芳しくなかったんですよ。もしかしたら、出所するまで間に合わないかもしれないと不安だったので、なんとしてでも母が生きているうちに会いたいと願いました。そのためにも、ひたすら耐え続けるしかなかった」
──耐え続けていくうちに、自然と時は流れ、気がついたら、苦難を乗り越えることができたのですかね。ちなみに、獄中の苦行をもう一度してみろ、と言われたら?
「同じ経験をしたいとは思いませんよ(笑)。したくはないけど、私の出発点の1つです。原点の1つと言ってもいい。大きな原点の1つであることは確かです」