うたばんではジョンソン、めちゃイケではドッキリに。モーニング娘。飯田圭織は00年台初頭のバラエティの寵児だった。_3

子どもでいられる時間が短かった。リーダーとしての役割とは?

――同郷で同じ年で同期でもある安倍なつみさんは自然に笑顔になれるけれど、自分はニコっとするのが少し苦手というような話を、ラジオでされていたことがあったのですが、グループ活動で悩んでいたことはあったのでしょうか?

最初はほぼ末っ子みたいな感じだったのに、どんどんメンバーが増えていって、まだ私も18歳とか19歳なのに、大人みたいな立ち位置をを求められるようになっちゃったんですよ(笑)。

――確かに、大人っぽいイメージがありましたね。

これから先の立ち位置をどうしようかと考えた時に、フランス映画を観たりして、そこで描かれている“いい女”の研究をし始めました。

――佇まいから、大人の女性を目指したのですね。

グループのリーダーを任せられていたので、子供でいられる時期がもしかしたら短かったのかもしれないですね。でも元々は、つんく♂さんプロデュースの女性ロックボーカリストオーディションに応募していたので、アーティスト寄りの活動がしたかったという思いもあったんです。

――リーダーという役割を振り返ってどう思いますか?

常に周りに目を配るリーダーという役目はやはりプレッシャーも大きかったです。
常にメンバーの入れ替わりのあるグループだったので、“ジョンソン”と言う、いじられキャラのおいしいポジションも下の世代に譲っていかなきゃいけない。
グループ内の上下関係もある程度保ってピリッとした空気も残しておかないといけない。やっぱり自分の中で悩みがなかったとは言えないですね…。まだ19歳と若かったので、最初は無理をしていた部分はあったとは思いますね。でも、同時にグループが新しく進化していくことに喜びややりがいも感じていました。

――では、飯田さんにとってモーニング娘。とはどういう存在でしたか?

人生をかけてやってきたものですかね。飯田圭織という人間が形成された7年半。オーディションの時を入れれば8年近くだと思うので、かけがえのないものですよね。地方から出てきてもし脱退となったら、私は北海道に帰るしかない。だから一生懸命やるしかなかったしメンバー全員が、命がけでやっていました。その熱い想いとそれぞれの強い個性がぶつかりあっているのが当時のモーニング娘。の魅力だったと思いますね。


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取材・文/池守りぜね  撮影/小谷信介