「名コーチ」って言われるのは嫌でした

コーチとしてチームの投手陣に専心する吉井自身、現役時代は自分のことしか考えていなかった。権藤に限らず、ほかの指導者からも、そうとは気づかずに成長させられていた可能性はあるだろうか。

「あるかもしれないです。でも、本当のところはわからないです。自分で気づいてやっているように感じているけれども、じつは気づかされていることがあると思うので。僕はまさにそこがポイントだと思うんですよ。

『自分でやったんだ』っていう感じ、難しい言葉で自己効力感っていうんですかね。『自分はできるぞ』というような、そんな感じを選手が持てれば、モチベーションが上がったり、自信がついたりしていくので。自分でできた、自分でやった、という感覚に持っていくのが、コーチのいちばんの役目だと思っています」

逆説的だが、いいコーチほど、選手から見てその存在は消える--。実際にはいるのに、いない。そんなことがひとつ、言えそうだ。

「そうであってほしいですよね。だから僕自身、あんまり『名コーチ』って言われるのは嫌でした。まずはチームのためにやっていることを極めたいな、と思っていただけで、今の立場の自分もまだ駆け出しですから」

最後に吉井に取材したのは「今の立場」になりたてのころだった。そのため、佐々木朗希の完全試合については聞けなかったが、自身が執筆する『吉井理人オフィシャルブログ』で快挙を絶賛していた。

バッテリーを組んだ新人捕手の松川虎生についても〈佐々木の投げたい球を投げさせ、良いリズムを作っていました〉と称え、〈ほんとに、素晴らしいゲームでした〉と振り返り、あくまで全体を見通しているところが吉井らしいと感じた。

さらに吉井らしさを感じたのは、4月17日の対日本ハム戦、2試合連続の完全試合も見えた佐々木が8回で降板したあとのブログ。その投球を称えつつ、こう続けていた。

〈そして、マリーンズベンチもよく8回で降板させました。(6回で代えてほしかったけど)ついつい目先の勝利や記録にとらわれ、選手に無理をさせてしまうことがあるのですが、良い判断だったと思います〉

ベンチにいない「今の立場」だからこそ、〈8回〉ではなく〈6回〉という見解になったのだろうか。あるいは、コーチの立場であっても〈6回〉だったのか。

いずれにしても、「チームの勝利よりも選手の幸せを考えてやる」という吉井の軸は、まったく揺れ動いていない。

文/髙橋安幸 写真/共同通信社

「名コーチ」は教えない プロ野球新時代の指導論
高橋 安幸
佐々木朗希、大谷翔平らを指導した名コーチの理想は「存在感のない指導者」_02
2022年7月15日発売
902円(税込)
新書判/224ページ
ISBN:978-4-08-721223-5
「チームの勝利よりも選手の幸せを考えてやることです」(本文より)

大谷翔平や佐々木朗希など、野球界にはかつての常識を覆すような才能が次々と現れる。彼らを成長へ導くのは、従来のコーチング論とは一線を画した、新しい指導スタイルだ。本書は、すぐれた職能を認められているプロ野球の現役指導者6人──石井琢朗、鳥越裕介、橋上秀樹、吉井理人、平井正史、大村巌に取材。新世代の選手とどう接するのか。どんな言葉をかけるのか。6人のコーチの実践は、野球界のみならず、若い世代を「指導」「教育」する立場の職務にも有効なヒントを与えてくれる。
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