きっかけは子どもの自殺やマスコミ報道への違和感

かつては世間から悪しきことと見られる風潮もあった不登校。近年、不登校に対する認知度や理解が高まりつつある背景には、『不登校新聞』の存在があると言っても過言ではない。創刊以来一貫して当事者目線での報道を徹底し、子どもや親などへ「学校以外の居場所や相談できる場所があること」を伝え続けている。

本紙の発起人らは、親の会やフリースクールを設立し、登校拒否・不登校を考える全国ネットワークを結成するなどの活動を十数年にわたり続ける中で、不登校を発信する自分たちのメディアがほしいと感じるようになったという。活動の起点は、学校復帰を迫られる苦しい状況を変えるためで、マスコミの取材に対する違和感もあった。

具体的に歩みを進めたきっかけは、1997年に起きた長期休み明けの子どもの自殺や学校の放火などの複数のショッキングな事件だ。学校以外に逃げ場があることが知られていない、と強い危機感を持ち、1998年5月1日に数名で不登校新聞を創刊させた。プロとしての編集経験を持つ者は誰もいなかった。

「私」が救われるために取材する。不登校新聞が貫く当事者視点での発信_01
「新聞」と謳っているものの、タブロイドの8ページで一般紙と比較して文字フォントも大きく、新聞を読み慣れていない人や読書への苦手意識がある人でも読みやすい。月2回の発行 写真/不登校新聞
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現在本紙代表を務める石井志昂さんは、創刊当時16歳。中学2年時より不登校となり、フリースクールへ通っていた。そのスクールの隣の部屋で制作していたのが本紙で、石井さんは創刊号で取材を受けることになる。石井さんは当時からさまざまな場所で講演をする機会があり、当事者としては相当特殊な立場にいた。

「一番多くて700人の前で話したことがあったのですが、創刊号は5000部刷ると聞きました。まだSNSなどがない時代でしたが、自分の声が今からいろんな人に届くかもしれない、不登校当事者の声がこれからは届きやすくなるのかなという期待感を持ちました」