震災の爪痕が残る福島の道を、夜明け前にひた走る
新たな目標地点は、本州最北端の下北半島・大間崎と定めた。
青森に行けば、前から訪ねてみたいと思っていた三内丸山遺跡も見ることができるだろう。
その他はほとんどノープランでの出発だったが、北には北のいいところがいろいろとあるはずだ。
まず目指すのは、国道6号の終点である宮城県・仙台市。
僕は深刻な方向音痴だが、ひたすら6号を行けばいいので迷いようがなかった。
途中、激しい雷雨などに見舞われつつも順調に北上していき、夜には福島県に入る。
そして、とある道の駅で寝支度を整えた。
就寝前には娘&妻とLINEのビデオ通話をした。
福島県にいることを告げると、かなり驚いている。
そりゃそうだ。「西に向かって九州へ行く」と宣言していたのに、お父ちゃん、福島にいるんだから。
いくら方向音痴でも、そりゃないだろう。
しかし、みちのく犬連れひとり車中泊の旅の記念すべき第一泊目は散々だった。
日付は変わって8月17日の午前1時半頃。
僕はあまりの暑さで目覚めた。顔にも体にも、じっとりと汗をかいている。
そしてその後はいくら頑張っても、まったく眠れなくなってしまった。
車内の温度計は28〜29℃を示していた。
東京から少しばかり北上したとはいえ、福島程度では熱帯夜から逃れられなかったのだ。
でも、車のエンジンをかけてエアコンをつけるのはやはり気が引ける。
そうなったら方法は一つしかない。
寝るのをあきらめて出発、駒を先に進めるのだ。
これもまた、一人旅の気楽なところである。
午前2時、僕は道の駅を後にした。
その先は、震災の爪痕がいまだ生々しく残る地域だった。
ニュースで見たことのある地名が連続するようになると、「東日本大震災津波浸水区域ここから」「(同)ここまで」といった看板があちこちに掲げられていた。
「帰還困難区域」や「バイクや自転車、歩行者は通行できません 」という看板が見え、ハッとしてナビを見ると、福島第一・第二原発のすぐ近くを走っていた。
真夜中にそうした地域を通るといろいろなことを思い、正直なところ気分は沈みがちになった。
救いになったのはラジオだ。
夜から朝にかけて、NHK-FMは1950〜60年代のモダンジャズや、昭和初期・中期に活躍した作詞家・西条八十特集として古い流行歌を放送していた。
他の局でも70年代のAORなど、深夜の気分に寄り添うメロウな曲を流している。
普段は聴かないそうしたラジオ放送を楽しみつつ、夜明け前には国道6号の終点である仙台を通過して松島へ到達した。
まだ朝の6時台だから涼しく清々しい空気に満ちている。
海の横の駐車場に車を入れて少し休憩したのち、見事な松島の景色を楽しみながら犬とたっぷり散歩した。
我が愛犬は、最高に嬉しそうだ。
アスファルトが焼けるような暑さになる真夏、犬はどうしても散歩不足になりがちなのだが、この旅では涼しい場所で、たっぷり歩かせてやることができそうだ。
そういう意味でも、北を目指したのは正解だったかもしれない。
そう思うことにしよう。
文・画像/佐藤誠二朗