いまでも国軍兵士を殺したい
この5ヵ月前の2019年8月、私はミャンマー政府が主催するメディア向けの取材ツアーに参加し、ヌールたちの故郷ラカイン州北部を訪ねていた。そのときに撮影した写真を見せると、ヌールとモハマドの眼が吸い寄せられる。街の中心に立つ時計塔、食材や日用品があふれる市場、学校に集う子どもたち……2人は「ここによく行っていた」「懐かしい」と呟きながら、スマホの画面に映る写真を凝視した。彼らの表情や言葉は故郷の現状を見る喜びと、そこに戻れないやるせなさに満ちていた。
モハマドは「無事にアラカンに帰れたら、君が僕たちの村に来られるよう許可書を申請するよ」と言ってくれた。ヌールには別れ際、今度はいつ来るのかと尋ねられた。
「あなたは私のお姉さんみたいなものだから、会えないと寂しい。今度は家族も連れてきてね。うんとごちそうするから」
また半年後に来るよ、と約束して別れた。だが、この訪問の後、バングラデシュでも新型コロナが猛威を振るう。さらにギャンググループの抗争、大火災、難民の離島への強制移住の開始といった悪いニュースが相次ぎ、2021年2月には祖国ミャンマーで軍事クーデターが発生。現地の政情不安によって、ロヒンギャ難民の帰還はさらに遠のいている。
コロナで現地へ行くのが難しくなったこの2年半、私は通訳を介してヌールとモハマドと連絡をとっている。ヌールはさいわい喉の手術を受けられた。だが、モハマドがその費用を工面するためにヤバの密売に手を出したらしいと通訳から聞き、がく然とした。愛する妻を救うにはそれしか方法がなかったのだろうが、バングラデシュでは薬物密売の容疑者に対する超法規的な処刑が横行しているのだ。
ヌールは術後も通院と服薬を続けなければならず、相変わらず体調は悪いという。幼かった3人の子どもたちは10代になったが、キャンプでは高等教育の機会がないと、ヌールはいつも彼らの将来を案じている。
虐殺から5年たったいまも、モハマドは「ヌールと自分を傷つけた国軍兵士を殺したいと思うことがある」と語る。一方、ヌールには頭から離れない「問い」がある。
「なぜ、国軍兵士やラカイン人は何の罪も犯していない私たちにあんなひどいことをしたのか、それを聞きたい。そしてこう伝えたい。お願いだから、もう私たちを傷つけるのはやめて。私たちもミャンマー市民なのだから」