世界を見据えたモノづくりへ
そして、マルニ木工は世界で評価される椅子を作ることになる。これは、決して何となく作った椅子がたまたま評価されたわけではない。山中社長は当時の戦略について、次のように話す。
「実は、何度も社内で新製品を考えて売り出してみたこともあったのですが、正直鳴かず飛ばずで。思いつくことは全てやったのですが、何をやっても駄目で、八方塞がりでした。
そんなときに、建築家でありプロダクトデザイナーでもある黒川雅之さんと知り合いまして、彼に相談したんです。そうしたら彼は『僕の知っている世界中のクリエイターを12人集めて、日本の美意識を木製の椅子に込めて世界へ発信しよう』と企画を練ってくださった。私と現会長である私の従兄弟は、この提案に飛びつきました。これが『nextmaruni(ネクストマルニ)』プロジェクトです」
ただし、会社としての体力が十分ではないなかでこのプロジェクトを進めるのは大変だった、と山中社長は振り返る。しかし、売上が爆発的に伸びることはなかったものの、評判の面で、確かな手応えを掴んだ。
「営業からは『こんな道楽みたいなことをやってないで、ニーズのある商品を作ってください』って言われましたよ。工場からも嫌がる声はたくさんありました。これまでやってきたモノづくりを否定して、デザイナーさんの言う通りに作るわけですから当然です。
それでも、何とか形にして、黒川さんのディレクションに導かれるまま、ミラノサローネ(イタリア・ミラノで開催される世界的な家具見本市)の時期にギャラリーを借りて、12脚の椅子を展示するに至りました。
そうしたら反響が凄かった。インテリア雑誌の取材も来るし、接点のなかったショップから電話が来るようになったので驚きましたね。実は、僕は当時参加してくださったデザイナーさんのことを半分も存じていませんでしたが、深澤さんやジャスパーさんをはじめとするスターデザイナーだらけのオールスターズだったんです。ただし、それでも12脚の椅子は全然売れませんでしたが(笑)」
そして、このnextmaruniプロジェクトは3年間続けられたのち、方向性を微調整していくことになる。「世界」を意識し、デザインやプロモーションの重要性を理解したうえで、マルニ木工の新たな挑戦が始まった。
「弊社内で『1人のデザイナーとじっくりモノづくりがしたい』という声が増えてました。そこで、改めて関係を深めていったのが深澤さんとジャスパーさんでした」
そして、再興のための出資を得ながら、深澤氏と二人三脚で作り上げた椅子が、HIROSHIMAアームチェアだったわけだ。
「正直言えば、広島人からすると『HIROSHIMA』という名前は非常に重いものです。原爆が投下された街であり、平和の象徴と解釈を変えても、その名を背負った商品を売るのは畏れ多かったですね。でも、深澤さんは『世界の定番商品を作るには、誰もが知っているようなインパクトのある名前が必要だ』と背中を押してくれました。あとは、ヨーロッパと北米のディーラーと取引をすることを目標に、ブランドの確立を目指すだけでした」
その後、ミラノサローネをきっかけに繋がったアメリカのディーラーを通じ、マルニ木工は大きな発注を請けることになる。そのクライアントがAppleであったと判明するのは、それからしばらく後のことだ。
「そりゃ嬉しかったですよ。何より、黙々と工場で製品を作っている職人が、『あのAppleの椅子を自分が作っているんだ』って家族や知人に自慢できるじゃないですか。そういう“誇り”を持てたことも、とても嬉しかったですね」