地下のコミュニティでは、互いに面倒を見合って、子育てをする“村”があった
ローガン「地下のコミュニティを生き生きとして描くことは、僕らにとってとても大切なことでした。トンネルの中では、それぞれ互いに面倒を見合って助け合ってくらしていた。そういう視点を観客に感じてもらうことが、この映画では大切でした。そして、そのことを意外だと思う観客もいるでしょう。
僕らはリサーチの中で色んな人たちから、素敵なエピソードを聞きましたし、そういう温かい交流のシーンもたくさん撮ってはいたんですけど、残念ながら編集の中でカットしなくてはいけませんでした。なぜなら、この母娘がなぜ、地上に出なくてはいけないのか、そのきっかけとなる出来事を描かなくてはいけなかったから」
セリーヌ「子育てをする上で、子供を育てるのには”村(Village)”が必要だ、とよく慣用句的に言われますけど、トンネルの中には確かにビレッジがあったんです」
──セリーヌさんは、今回、シングルマザーのニッキーの切迫感をすさまじい迫力で演じていらっしゃいますね。映画監督は俯瞰で物事を見なくてはいけないけれど、女優は役に没入する作業が必要です。真逆のことを同時進行でやるなんて、一体、どうやって両立させたのですか?
ローガン「セリーヌと僕はとにかく事前にすべてのことを話し尽くしました。各シーンで何を撮りたいのか、演技で何を求めたいのか。二人とも理解し切ったレベルに達していたので、現場に僕だけでなく、映画監督としてセリーヌがいることがアドバンテージになっていたと思います。撮影現場では、セリーヌの演技に合わせて、演出し、その場で改めて話し合うことはなかったし、きちんと演技に専念してもらえる安心感がありました」
子供を見失う瞬間は、子育てで最も体験したくない出来事
──後半、地上でちょっとした隙に、リトルを見失う場面があります。マイク・ミルズ監督の『カモンカモン』にもホアキン・フェニックスが甥を街中で見失って大騒ぎする場面がありましたが、あの瞬間のニッキーのパニックは、全ての親が子育ての中で最も遭遇したくない瞬間です。あそこの心理状況がもう、キリキリと胸に響きました。
セリーヌ「あの場面は、実際にニューヨークの地下鉄の駅を借りて、3晩かけて撮影したものです。駅自体も、電車自体も普段通り稼働しているので、どういうことが起きるか、予想できない部分も多く、撮る前はとても怖かったのですが、私たちはニューヨーク大学で演劇を学んでいるときに出会っていて、これまでもプロの役者を雇うギャランティがないときは、自分たちでトレーニングして、演じてきたので、そういう体験を生かしました。実際にリトルを見失う演技は5回、撮影したんです。
今仰ったように、子供を街中で見失うというのは本当に恐怖の瞬間ですよね、私は学生時代、ベビーシッターをしていたんですけど、遊び場で本当に一瞬、気をとられた瞬間、預かっていた子供を見失った経験があり、本当に恐ろしい出来事でした。その時の恐怖の感情を思い出して演じたんです。私の母親も、私たち姉妹が幼い時、動物園で子供を見失った経験があり、実際には数分の出来事だったけど、一時間ぐらいに感じた恐怖だったとよく話していたので、そのことも思い出していましたね。
まあ、映画の中では演技上、子供を見失うという恐ろしい体験をしましたけど、今、実は私、妊娠8カ月で、恐ろしい感情を忘れて、子育てをしたいと思います」