工作の失敗と暗殺事件
結局、『茶花女』は「謎の支那映画」として上海でも日本でも終わることができなかった。しかも国内では興行的には失敗、映画雑誌の批評も「この映画に強いて興味を見出すとすれば、作品の出来そのものでなく、こうした作品が生まれ出るようになった製作動機」(飯田心美「外国映画批評『椿姫』「キネマ旬報」一九三八年十一月一日号」)である、などと「文化工作」であることを婉曲に皮肉るものであった。このように『茶花女』は「文化工作」であることが日本・中国双方で仄めかされ波紋を呼んでいた。しかし、そこで終われば未完を含むこの四作は真相の不確かなまま中国映画史から葬られ、一部の映画人の知る秘史で終わったろう。
しかし、一つの暗殺事件が「謎」として終わるはずの上海偽装映画工作を公然化するトリガーとなる。