映画史に残るはずのなかった映画

一方で、この極秘工作は第一作の『茶花女』については製作経緯が洩れ伝わって中国側から批難されたためかろうじて映画史に名が残る。現地では「茶花女事件」として糾弾されたのである。そのため、三作目となる『大地的女児』は一九三九年二月の時点で撮影が終わるも編集は未完と報告され(「光明電影公司ニ對スル投資報告書」、「特集牧野守所蔵東宝上海偽装映画工作文書」「TOBIO Critiques」#4)、第四作『銀海情濤』はタイトル名が市川文書や現地報道に散見するが、製作は確認できていない。
その内容だが「抗日」的でもないがプロパガンダ的でもない。その一作『茶花女』はアレクサンドル・デュマ・フィス『椿姫』の翻案というよりジョージ・キューカー監督『椿姫』(一九三六年)を彷彿させ、上海でも相応に親しまれた素材だったが、宣撫工作映画としてはアメリカ的すぎるという批判もあった。この映画のシナリオは中国語および日本語訳が現存しているので検証して見えてくるものも多々あるだろう。しかし『茶花女』をめぐるこの文化工作が映画史に記憶されたのは、その内情が中国で糾弾され、後述するように日本国内でも軍の関与が公然と語られたからだけではない。
そもそも先の市川彩の記事がこの「工作」を匂わせつつも中国映画界に「何等の基礎をも有さなかつた一資本」による椿事とでも言わんばかりの白々しい書き方をしているように、また、松崎の「上申書」が「カモフラージュ」と明言しているように上海での偽装映画工作は、本来なら、そのまま秘されて映画史から消えるはずであった。

露呈する偽装工作

しかし『茶花女』は一九三八年十一月十七日から『椿姫』と題して日本公開される。しかもすでに記したように同作を「東宝と光明影業協同製作」とし、「軍の仲立ち」があったことを同日の「読売新聞」が堂々と報じてしまうのだ。裏事情の一部が日本で公然と記事になってしまったのである。
それは本来、この工作に関わった人間たちが隠蔽しなくてはいけないものだった。なぜなら公になれば、関わった人間たちの命に関わるからである。市川綱二は帰国していた松崎啓次に上海で試写を見た後の感想として、内地で上映をすれば「相当人気が沸」く、としつつ、同時にこう警告する手紙を送っている。

それから二人よりは蛇足或いは釈迦に説法を(原文ママ)お叱りを蒙るかも知れませんがこの四本作品日本にて上映に際しては日本へは東宝後援云々の文句は絶好のパブリシティヴァリューですがもしそれが何かの拍子で当地へ伝われば、次回作品はおろかそれっきりで劉黄氏の生命は固より出演者、スタッフまで相当致命的の打撃を与へる事となり、当地、又は占領区域外の上映は思いもよらぬ事になりますので此点呉々も御留意ある様金子氏よりも平常御注意もありましたので申し添えます、ただ日本に於ける配給権を東宝が何等の形式で獲得した謎の支那製映画として謎で客を引いていく様にとの御注意でした。(市川綱二書簡、牧野守所蔵『自昭和十三年四月至昭和十三年六月拾日 上海―東京本社第一号 報告原簿 市川』)

この文面からはすでに東宝で配給の動きがあることがうかがえ、他方、契約書に内地の配給権は東宝にあるとされていて、製作費は大きく超過していた事情が日本公開の背景の一つとなったことは考えられる。日本での上映は、資金の回収に加え、上海の中華電影設立について映画利権をめぐる動きが重なり、東宝はフライングしても上海映画利権の既得権益の所在を軍との関係によって誇示する思惑があったのか、と想像もできるが定かではない。