「インド」と「JK」のレッテルの間で
――3年のインド生活の中で、掲載するエピソードを選ぶのも大変だったのでは?
インドではほぼ毎日が劇的だったので、泣く泣くカットせざるをえなかったエピソードもありました。エピソードを選ぶ基準や書き方としては、本に没入してもらえる構成や、明るい部分と暗い部分がいきなりパキッと切り替わらないような自然な流れを意識しましたね。
私自身、本を読むことで何かを体験をした感覚を得られるのがすごく好きなので、そういう本を作りたいと思って、いろいろな作品を読み込んだりもしました。
――先日の矢萩多聞さんとの対談イベントで、遠藤周作さんの『深い河』からも影響を受けているとおっしゃっていました。
私が遠藤周作さんの名作を語るのもおこがましいんですが、バラバラな境遇に置かれている登場人物たちが、インドという河に流れ着き、それぞれの過去や死生・善悪などの価値観に思いを巡らせる作品という風に解釈しています。今回書くにあたって、私自身はどういうふうにインドという河を泳いだんだろうと考えました。
もともと大好きだった朝井リョウさんのエッセイも執筆中によく読みました。とにかく楽しく読める本なんですけど、私がインドで体験したどうしようもない滑稽さや珍妙さは、読者とその笑いを共有したかったので、そういう場面を書くときは私自身のテンションを上げるためにも朝井さんのエッセイに助けられましたね。ただ、絶妙に面白おかしく書くのには、相当の筆力が必要だということも思い知らされました。
さっき、カレーを持ってキッチンへ去っていった使用人が、また戻ってきた。彼の手は大皿を包んでいる。ま、だ、あ、る、の…………。
ぴえん超えてぱおん超えて真顔。どーんとテーブルのど真ん中に置かれた大皿の上のケーキを、わたしはただ見つめるしかなかった。
――対談イベントで、レッテルというテーマについてもお話されていました。インドに行く前は、インドをステレオタイプに当てはめている自分がいたけれど、インドで、名前と顔を持つ1人1人と触れて語り合うことで得たものが大きかったと。
自分と遠いものは、どうしてもわかりやすいイメージを持って関係ないのが人間の本質だと思います。私はそれまで関係ないと思っていたインドに実際に住んでみて初めて、想像と実像の齟齬について考える機会になりました。
タイトルでうたっている「JK(女子高生)」のステレオタイプについても考えましたね。無名の書き手である自分は、JKという切り口なしでは本は出せなかったですし、そこに興味を持って読んでくださる方もいると思います。
でも、インドに住んでいようと日本で生活していようと、JKとして向き合う問題もあれば、年齢に関係なく個人として向き合う問題もあるはずで。書く上では、JK「らしさ」は大事にしつつも、それだけでない部分も伝えようと意識しました。