過去に7校だけの〝春夏連覇〟

球児の誰もが憧れる究極の目標、それが甲子園での優勝だ。「春のセンバツ」と「夏の甲子園」、年に2度ある栄冠を目指し、日々、白球を追って練習している。

全国に約4000校あるうち、春と夏の甲子園でどちらも優勝する「春夏連覇」を達成した学校は7校だけ。それだけ難しい大偉業なのだ。平成になって、はじめてこの春夏連覇を達成し、「平成の怪物」と呼ばれたのが横浜(神奈川)のエース、松坂大輔(元・西武など)だった。

【歴代甲子園“春夏連覇”チーム】
1962年 作新学院(栃木)
1966年 中京商(愛知)
1979年 箕島(和歌山)
1987年 PL学園(大阪)
1998年 横浜(神奈川)
2010年 興南(沖縄)
2012年 大阪桐蔭(大阪)
2018年 大阪桐蔭(大阪)

■決勝ノーヒットノーランで春夏連覇 松坂大輔(横浜)

高校に入学したばかりのころ、「サボりのマツ」と呼ばれるほど練習嫌いだった松坂。だが、2年夏の神奈川大会で、自分自身の暴投でサヨナラ負け。それ以来、嫌いだったランニングで誰よりも走り、地味な基礎練習にも文句をいわずに取り組むようになった。

2年の秋以降、どのチームにも負けなくなった横浜は1998年春、第70回センバツ大会に出場。その最初の試合で、松坂は甲子園球場では高校生史上初の球速150キロを記録。この剛速球に加え、高校生のなかにひとりだけプロがいる、といわれるほど鋭く曲がるスライダーを武器に連戦連勝。5試合すべてが完投勝利、そのうち3つが完封という圧倒的な内容で、見事、センバツ優勝を成しとげた。

全国の球児が憧れる存在になり、追われる立場となった松坂だったが、夏の甲子園大会でも主役の座は譲らなかった。延長17回までもつれる死闘となった準々決勝のPL学園戦では松坂が250球をひとりで投げぬき、完投勝利。その翌日、「今日は投げません」と宣言してはじまった準決勝では、リードを許していた9回表にマウンドへ。3者凡退に打ちとると流れは横浜へと移り、奇跡の逆転勝利を呼びこんだのだ。

つづく決勝戦では、大会史上59年ぶりとなる「決勝ノーヒットノーラン」。最後の打者から三振を奪い、松坂はガッツポーズ。史上5校目の春夏連覇達成の瞬間だった。