孤独な苦しみが起こした事件

――山上容疑者はいわゆる「2世信者」ですが、カルトに入信した親に育てられた人はどんな苦悩を抱えているのでしょう?

私の見立てですが、山上容疑者は心から旧統一教会を信じたことはなかったのではないかと思います。母親は入信してからずっと信者に囲まれ、教義に則った生活をしていたわけですが、子どもたちは違う。

信者の2世は、小学生くらいまでは家庭の価値観に支配されたとしても、中学生、高校生と成長するにつれ、教団内でタブーとされている恋愛やお金について世間一般の価値観、つまり自由な生き方を知るわけです。そこで、自分が生まれ育った環境の異常性に苦しむことになります。

多額の献金によって家庭の経済状況が破綻しかけ、進路の選択肢も限られてしまう。しかし、うかつにクラスメイトに相談するわけにはいかない。宗教の話をすれば、「アイツの家はヤバい」などと噂をされ、居場所がなくなってしまうかもしれないから。周囲の反応がある程度想定できてしまうので友人をつくることが難しく、どうせ誰にもわかってもらえないと諦め、一人で苦しみを抱え込んでしまいがちです。

山上容疑者が銃撃事件の前日にフリージャーナリストに犯行を示唆する手紙を送ったのは、この人ならば自分の気持ちをわかってくれるかもしれないという一縷(いちる)の望みがあったからではないでしょうか。友人ではなく、面識のない人宛というのが、理解者を見つけることができなかった半生を物語っているような気がします。もちろん、こうした事情があったからといって銃撃事件を肯定していいわけではありませんが。

山上容疑者が凶行に至った動機について、承認欲求や自己顕示欲があったと指摘する専門家もいますが、私は違うと思います。ただただ、教団が憎かったし、自暴自棄になっていた。銃の材料が手に入り、試し撃ちもうまくいってしまった。そんなとき、怒りの矛先が、以前からシンパで旧統一教会の権威付けに一役買ってしまった安倍元首相に向いた。憎い敵に味方するなら憎くなります。さらに当日の警備が手薄になっていたという偶然も重なりました。

カルトにマインドコントロールされた親と、その子ども。どちらもその恐怖を知り、相談できる相手がいれば救われたはずだし、こんな凄惨な事件も起こらなかったのではないかと考えてしまいます。

取材・文/小林 悟
企画・編集/一ノ瀬 伸