明治時代からあったセクハラ相談

たぶんセクハラは、人類の歴史とともに存在していたに違いありません。しかし、30数年前に「セクハラ」という言葉が一般的になる前は、それほど大きな問題とは思われてきませんでした。上司にお尻を触られた女性社員が、本気で怒ったり抗議したりすると、むしろ眉をひそめられたものです。いやはや、ひどい話です。

セクハラに悩む女性に、人生相談はどんなアドバイスを送ってきたのか。

まずは明治時代の新聞に掲載された人生相談から。「ある仕立屋に勤めている者でございますが、職人はすべて五人で、私だけは女です」という環境の中、男性たちが「絶えず汚らわしいことのみを申すので辛くてなりませぬ」と訴えています。記者の回答は次のとおり。

〈かれこれ申すより、ただあなたの心掛けいかんにあります。あなたさえしっかりしており、いかなる場合に臨んでも決して操を破られぬと覚悟しておればよいのです。(似た境遇の女性の例を挙げつつ)この婦人が申しますには自分さへ心を直ぐにし、やましい所ないようにしていれば、狼がいくら来ても恐ろしくないと。〉
※初出:「都新聞」1909(明治42)年11月25日付。引用:山田邦紀著『明治時代の人生相談』(幻冬舎、2008年刊)

いわゆる「自己責任論」ですね。どんなに“狼”に言い寄られても、自分がしっかりしていれば大丈夫なはずだと叱咤激励(?)しています。もし操を破られたら、それはスキを見せた自分の責任であり、相手のせいではない、という意味も含まれていると見ていいでしょう。厳しいというか理不尽というかトホホというか、この時代、女性が働くということは現在とは比較にならないほど苦難だらけの道のりだったようです。

あの丹波哲郎さんも36年前に出版した著書の中で、「経営者に『愛人になれ』と迫られて会社を辞めた」という女性の相談に答えています。当時はまだ「セクハラ」という言葉はありませんでした。そのせいかどうか、女性が会社を辞めた理由を「子どもじみた甘えからきたもの」と一刀両断。その上で、こう言います。

〈善し悪しは別にして、(社長には)明らかに好意が感じられる。だからといって彼女に唯々諾々とそれを受け入れよというつもりはないが、敵意と不信しか感じていないようなその反応にはやはり問題があるのではないか。(中略)経営者が女性社員を口説くのもとても人間臭い行為と受け止めることができる。もちろん、私はそうした行為を正しいというのではない。私がいいたいのは、そういう彼らの心情をも理解してあげられるような柔軟で素直な心が、もう少し彼女にあってもよいのではないかということである。〉
※引用:丹波哲郎著『丹波哲郎の人生指南道場Ⅱ 来世からの証言』(経済界、1986年刊)

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もし無理やり何かされたということだったら、さすがの丹波先生もここまで経営者の肩は持たないでしょう。さらに、この女性に「知恵を授けておきたい」と言いつつ、「霊界の三種の神器が、愛・奉仕・素直さだということである」と説きます。もしかしたら、霊界ではセクハラが推奨されているのでしょうか。いや、きっと凡人には思いも寄らない深い教えが込められているに違いありません。

そして人生相談と言えば、美輪明宏さん。「セクハラ」という言葉が定着し始めた27年前の著書で、「上司のセクハラにはうんざり!! もう会社なんて行きたくない!」と訴える女性の悩みに答えています。セクハラに関しては会社も組合も頼りにならないと嘆きつつ、具体的にこうアドバイス。

美輪明宏は「麗人になれ」

〈セクハラされない簡単な方法は、セクハラ上司に嫌われるよう、あなたが汚くなること。仕事だけテキパキやって、おしゃれは一切しないこと。会社にいる間は、ダサくて、見るのも嫌で、おぞましい女にしていればいいのよ。(中略)もっと高等技術を言えば、美人以上の“麗人”であることね。(中略)つけ入る隙がなく、毅然としていて、非常に高雅で気品が漂っていて、言葉づかいも武家の才女のようにキリリしゃんとしている。(中略)でも、ちょっとふつうの人は麗人にはなれない。ぶんなぐってやるなんて言っているようじゃ無理。汚くするのが手っ取り早い方法ね。〉
※引用:美輪明宏著『美輪明宏の心麗相談 光をあなたに』(メディアファクトリー、1995年刊)

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平成に入ったばかりの頃は、そういえばこういう雰囲気でした。あの美輪さんですら、会社や相手と戦うのではなく、女性が自分の努力で切り抜ける現実的な対処法を指南しています。ただ、汚くなるのも“麗人”になるのも、それぞれに険しい道のりですね。美輪さんは「男っていうのは単純なの。いくら仕事がバリバリできる女でも、女の匂いがあれば、男にとってはヴァギナにしか見えないの」とも。時代がどう変わっても、そういう一面もあるということを前提に考えるのは、けっこう大切かもしれません。

続いては、21世紀に出た本から。詩人の伊藤比呂美さんが、50代の女性から寄せられた「セクハラ上司に『NO』と伝えるには?」という相談に答えます。「職場で肩に触れてきては『こんなおばさんを本当は触りたくないんだけど』と言う上司がいます」とのこと。念入りに失礼な上司に、いやな気持ちをどう伝えるか。伊藤さんは、こう語りかけます。

〈セクハラ、ゆるしません。これが基本であることはまちがいがないんですが。人ってのは誰でもほめられるのは好きで、批判されるのはキライ。批判されると、むかついたり、逆ギレしたりして、めんどくさい。(中略)多少は気まずくなるのをおそれちゃいけません。(中略)言われたら即返し。そして「触られたくない」と「年や容姿について言われたくない」の2点をはっきり言う。言いっぱなしにして、さらなる議論はさっと避ける。1回で伝わらなくてもしょうがないと覚悟してかかる。相手のいいところもちゃんと見て、全否定しちゃわない。〉
※引用:伊藤比呂美著『人生相談 比呂美の万事OK』(西日本新聞社、2012年刊)

伊藤さんは最後に「厳しく対処したいときには、もちろんこの限りではありません」と言っています。「やめてほしい」と願っているだけでは事態は変わりません。そして、非は明らかに相手にありますが、強く責めればいいわけでもありません。現実を変えていく勇気をどうふり絞るか、衝突や摩擦をどう最小限に抑えるか。このへんのバランスが肝心なのは、どんな時代にも、どういう悩みにも共通しそうです。

言い方や方法はさまざまですが、どの回答者も「セクハラ被害者の助けになりたい」という気持ちは同じです。今、セクハラに悩んでいる人がいたら、こうした回答に背中を押してもらったり、具体的なノウハウを参考にしたりしつつ、自分の心と自分の人生を守るための戦いに挑みましょう。動き出せば、きっと事態はいい方向に進んでいきます。

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(マンガ:ザビエル山田)