本来の大仏は「ふっくら丸顔」だった

つぎは、完成後の大仏の変化を見ていきましょう。大仏の身体を大きく傷つけたのは、平安時代の大地震と、平安、戦国時代に起きた2度の火災でした。斉衡2年(855年)の地震では大仏の頭が落下しましたが、その後無事に再建されました。

火災は2度とも戦によるものです。最初の戦火は平安時代の治承4年12月(1181年1月)、平重衡の南都焼き討ちです。このとき東大寺の伽藍は大規模な被害を受け、大仏殿も焼け落ちました。大仏も被害にあいましたが翌年には復興事業が始まり、文治元年(1185年)に再びの開眼供養、建久6年(1195年)に大仏殿の落慶法要が行われました。

2度目の戦火は戦国時代の永禄10年(1567年)、松永久秀と三好三人衆の争いで、このとき再び大仏殿は失われ、大仏は頭部から肩にかけて損傷しました。しかし、このときはすぐに修復が行われず、150年近く経った江戸時代の宝永6年(1709年)にようやく行われたのです。

大仏の顔はこの江戸時代の修復でまったく変わってしまいました。それまで何度も修復を重ねながら、江戸の修復を機に「江戸」の顔になってしまったのです。私たちが今、東大寺でお目にかかる大仏は、江戸の顔で出迎えてくれているのです。

では、天平時代の大仏は、どのような顔だったのでしょう。大仏が座る台座に、そのヒントがあります。台座の側面に線描きで表された顔こそ、オリジナルの大仏の顔だと言われています。現在の顔より丸顔でした。

もう1カ所、大仏殿の前に建つ灯籠に彫られた顔も、天平時代の大仏の顔と言われていますが、やはりふっくらフェイスです。ちなみに現在建っている灯籠は羽目板がレプリカで、天平時代のオリジナルは東大寺ミュージアムに展示されています。

東大寺の大仏に限らず、数百年から千年のときを超えて人々に崇められている仏像には、戦火や自然災害、あるいは老朽化で何度か修復がなされ、元の姿とは一部が変わっているものも少なくありません。仏像を見に行く機会があったら、その来歴や歴史などを調べ、仏像がたどってきた道に思いを馳せてみるのも楽しみ方の一つです。

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