ヘソ出しルックだった可能性も
さて、いよいよ大仏に近づいて像を細かく見ていきましょう。開眼から1200年余り、その間いくつもの戦や火災、自然災害を見つめてきた大仏は、自身もいくたびか傷つき、修理を余儀なくされてきました。
しかし、開眼式が行われたその日、つまり「完成」された日にも、決して「完璧」とは言えない姿だったのです。大仏の表面には、今もなお突貫工事の「証拠」が消えずに残っています。天平当初の制作である台座に注目してください。
証拠その1は、大仏の台座のところどころに残っている「丸形」です。
巨大な大仏像は型に何度も銅を流して下の部分からつくったと説明しましたが、そのときほかの仏像と同じく原型を固定させるための「型持」が使われました。今も台座の表面に残る「丸形」は、型持の跡なのです。
普通は流し込んだ銅が固まり、仏像を仕上げる段階で型持の跡を磨いて分からないようにするのですが、大仏の場合はその時間がなかったのだと推測されています。
面白い話が伝わっています。あまりに急いで造像したので、鍍金(金メッキ)が間に合わず開眼供養のときには大仏のへその上までしか鍍金がなかったというのです。当初、大仏はへそ出しルックだったかもしれないのです。