神出鬼没の屋台バー

都道を走る車のヘッドライトが闇夜に白い屋台を浮かび上がらせる。引いているのは神条昭太郎さん(50)。

「えーと、ちょっと待ってくださいね……」

屋台をころあいの良い場所に止めると、神条さんはそういってノートパソコンを開いた。カタカタとキーを叩いてリターンキーを押す。神条さんのツイートが流れた。

《『北沢橋』。。冒険4033日目。大山交差点近く、大山町。。玉川上水旧水路緑道の前、五条橋信号の近くにいます。今宵はここでゆったり葉巻でも燻らせるといたしましょう。。題目は『けいぞく』。ちょっと。。きついな。よし。。続けよう(ニヤリ)。。。》

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題目とは客同士の話のきっかけとなるテーマ。とくに深く考えるわけではなく、ふと浮かんだ言葉という(撮影:神田憲行)

これで準備は完了。2022年3月5日土曜日の深夜12時過ぎ。恐らく日本唯一の移動式屋台バー「TWILLO(トワイロゥ)」の開店である。バーといっても置いているのはウイスキー、ラム酒、カルバドスなど数種類のお酒だけ。おつまみもなければ氷もない。客は神条さんからグラスに注がれた酒をそのまま飲むだけだ。屋台の灯りもろうそく。ついでにいえば酒の定価もない。

「もうないない尽くしの店ですからね。面倒臭いから値段もなくしてしまえって、酒代はお客さんに決めてもらってます」

最大の特徴は居場所も決まっていないこと。何日か同じ場所に止まって営業すると、屋台を引いて違う場所に移動していく。客は店がいまどこにいるのか、神条さんのSNSを見て推測して出掛けるしかない。終電のあとに開く店なのでこれはもう賭けに近い。それでも客はやってくる。この日も開店してほどなくして、男性の二人客が「本当にやっているんだあ」と言いながら顔を出した。二人とも36歳で服飾関係とマネジメントの仕事をしているという。

「ツイッターで存在だけは知っていたんですが、夜中だからなかなか行けなくて。今日は自分の家に近いところに来たから初めて来ました」

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店名の「TWILLO」は神条さんの造語。「語感だけで決めて意味はありません」(撮影:神田憲行)

二人が「昼間はどうされているんですか」とたずねると、「寝てますよ。ちょうど12時間。普通の人と真逆の生活をしています」と神条さんが答えて笑い声が響いた。

神条さんが屋台バーを始めたのは2006年8月のこと。大学を出て勤めた郷里の地元銀行を2年で退職、六本木のバーで働いたり、ニューヨークで詩を書いて過ごしたり、国会議員の公設秘書を務めたこともある。

「自分がボスでなにかを立ち上げたかったんですよ。小さな規模から始めて、今もそれが続いている状態です。べつに大きくしたいわけではなく、自分が食べていけたらそれでいいんです」

「今日一日誰とも喋っていないから、喋らせてくれ」という客

以来、台風が来ても雪が降っても、深夜の東京で屋台を引いて現れてランプの中にろうそくを入れて、明かりを灯す。それはコロナ禍でも変わらない。コロナ禍で人出が途絶えた夜の街の底のような時間帯に、神条さんはなにを感じていたのだろうか。

「夜間に歩いている人は格段に減りましたけれど、ただわずかでも、ここに集まってくれる人はいます。それはなにがなんでもお酒が飲みたいというわけではなくて、人間的につながりたいとか、人との会話とか、さみしさを紛らわすとか、そういうことで集まるんじゃないかなと感じます。今まで何回か通ってきてあまり喋らなかった人が、コロナ禍になって思いかけずバアッと喋ることがあるんですよ。『今日一日誰とも喋っていないから、喋らせてくれ』っていう人もいますね。ここは食事のメニューもないし、お酒も限られたものしかおいてないんで、美味しいもの食べたいとか、いろんなお酒がのみたいという理由で来ているわけではない気がします」

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営業中の灯りはろうそくだけ(撮影:神田憲行)

「来てくれた方が他のお客さんと楽しそうに喋っているのを見ると、自分がしていることもなんか意味あるのかなって思います」

東日本大震災と同じ光景が広がる

ただ人とつながりたい。そういう光景を神条さんが見たのは実は今回が初めてではない。

「よく似た雰囲気を感じたのは11年前の東日本大震災のときなんですよ。あのときもこれやってたんですけれど、家に帰ると節電で暖房もつけられない、テレビを付ければ悲惨なニュースが延々と流れてくる。もちろん自粛のムードもあったので、外に出掛けるのもはばかられる。みんな家の中で膝を抱えていたわけですよ。ここはろうそくの灯りだけでやっているところなので、ここにくれば電力を気にする必要もないし、悲惨なニュースも見なくてすむし、人との会話は当然ある。それで人が集まってくれたんですよ。ちょっとそれには似た雰囲気があるなとは感じています」

神条さんとそんな会話をしていると、常連客という40代の女性が「私もそうでした」と口を開いた。

「あのとき、このお店を目指して歩いていたら、遠くからでもランプの灯りが見えたんです。節電で周りがまっくらだったから、余計にはっきり見えたんだと思います。その途端、『ああ』って気持ちが上がりました。ここに来れば人もいるし、話もできて安心だったなあ」

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屋台バーを始めた当初は同じ場所で営業していたが、「せっかく屋台に車輪があるのに強みを生かしていない」と移動するようになった(撮影:神田憲行)

話をきいていて、私は友人が経営していた歌舞伎町のホストクラブを思い出した。震災当日、彼は店を開けて被害状況を調べていた。そこになんと常連の女性客が来たのだ。さすがに彼が「今日は店の営業はないよ」と断ると、彼女は「怖いから一緒にいてほしい」と懇願したのだという。風俗店に勤めている若い女性だった。実家の親とも縁が切れて、勤めている店にも頼りたくない。都会で男友だちはホストしかいなかった。友人が彼女を店に入れて話し込んでいると、そのあとも続々と同様の境遇を訴えた女性客がやってきたという。彼は寮住まいのホストも呼んで、営業するのではなくみんなで固まって朝まで不安な夜を過ごしたそうだ。

コロナ禍でもホストクラブがやり玉にあがった。たしかにクラスター感染を起こしていたのでは元も子もない。緊急事態時にそういうお店に行くことに批判的な社会の良識もあるだろう。だが、他に居場所がなく、行かざるを得ない者たちもいるのだ。本来、夜の酒場とはそんな場所ではなかったか。

私のホストクラブの話を聞いて、神条さんは「そのお客さんの気持ち、わかるなあ」とうなずいた。

真っ黒な世間にろうそくの灯りをともす

とはいえ世間がみな神条さんの屋台をウエルカムというわけではない。コロナ禍になってから、営業していると警察に通報されるケースが明らかに増えたという。警官が「通報があったので」と来ると、神条さんは素直に場所を移動する。

「通報しているのはたぶん自粛警察的な人ですかね。コロナになってから明らかに増えました。たしかに私がやっていることは飲食店の自粛が求められているなかで真逆だけど、ただ私はなにかに抵抗してこれをやっているわけではない。ずっと前からこのスタイルでやっているわけで、それをそのまま続けているだけです」

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人が絶えても、通報されても、屋台を引き続ける(撮影:神田憲行)

「なぜこれを続けられるかというと、私自身にやましいことはひとつもないからです。できるだけ邪魔にならないところで開いて、注意されたら直ちに撤収するし、人に迷惑をかけないようにしています。これを必要としてくれている人がいるというので、勝手な自信があるので続けられてます。実際、震災のときがそうで、今回もみんな来てくれる。さらに今度は戦争まで起きたので暗黒の時代なんですけれど、ちっちゃい光がついていて、世界は真っ黒なんだけれど、この光さえついていれば、完全な暗闇はないと思っています」

時計の針は午前3時を回り、冷えた風が容赦なく吹きつけてくる。手がかじかんでペンが持てない。「もうそろそろ(客足は)終わりですかね」という私の問い掛けに神条さんは「私の勘ではもうひと波ありますね。最近リモートワークで生活が自由になりすぎたのか、朝の5時くらいに飲みに来る人がいるんですよ」とニヤッとした。

そうすると本当に女性の二人客がやってきた。手にコンビニで買ったポテトチップスなどおつまみを抱えている。

「昨日はごめんね。ありがとう」

聞けば彼女は昨晩、他の店で嫌な目に遭わされて、この屋台で悔し涙を流して帰ったのだという。そのお詫びのつもりなのだろうか、連日の深夜通いである。神条さんはなにもいわず、微笑みながらうなずいた。その顔をランプの灯りが照らしている。