あさひ丸との思い出、別れ
あさひ丸の事業を始めたのは、國重さんの祖父だった。その後、父の佐野二郎さんが船長となり、瀬戸大橋周辺などを巡る船を運航してきた。國重さんや妹も、中高生の頃からよく船に乗っていたという。
「小豆島のマラソン大会に行ったり、淡路島まで電波が届くかという実験に出たり、いろいろな場所へ行きました。船には数えきれない思い出があります。
あの船体の絵も、最初は専門の人に描いてもらったんです。でも父が『気に入らない』と、自分でどんどん描き足していって。最後は、完全に父のオリジナルになっていましたね」
父も花火大会の警戒業務を引き受けていた。当時は市職員が各船に同乗し、連絡を取り合っていたという。
「父は職員さんに『船のことは俺に任せとけ、あんたは花火を見てきなさい』と言って、船長同士で連絡を取り合っていました。『船から見る花火は最高だろう』なんて、話しかけていたのを覚えています」
2014年、弟が30歳で亡くなった。その後、父から「智子、お前が船を継げ」と言われたという。初めは戸惑いもあったが、「あさひ丸を遺したい」と考え、2017年に一級小型船舶操縦士免許を取得。2018年に父が69歳で亡くなると、船を受け継いだ。
父が描き足した絵を残す船で、國重さんは客を迎え、花火大会では海上の安全を守ってきた。その船を手放すことになった思いを語るうち、涙がこぼれた。
「こんなことになってしまって、父には本当に申し訳ないです」
あさひ丸は、父が生前、親しくしていた知人に引き取ってもらったという。國重さんは涙を拭い、少し笑顔を見せて話した。
「形が変わっても、名前が変わっても、船に刻まれた思い出は消えません」
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班













