同じ「読解力」でも測る能力は別…「昔より低下した」とは言い切れない

このような「読解」観は、むかしからある国語科の読解指導で扱う領域と重なる部分もあるが、どちらかといえば国語以外の理科、社会の教科書の記述を正確に読み解くための指導という側面が強いだろう。新井は「国語以外の科目で(も)指導が行われるべき」としている。

新井は、意味を理解する能力(シン読解力)こそAIが苦手とし、人間に優位性がある部分だと言う。これができないなら日本の子どもはAIに負け、失業か低賃金労働の未来しかない、と主張する。文の構造を把握できず、同義文判定(2つの文が論理的に同じ意味かを判定する力)でつまずく人間は、AIが苦手とする「意味を理解する能力(シン読解力)」を持っていない。だからいずれAIに仕事を奪われる未来しかない、と。

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従来の国語的な意味での「読解力」、知識の活用や探求を重視するPISA型「読解リテラシー」(2000〜2015年)、デジタルデバイスで回答できる情報活用力もくわえた新PISA型読解リテラシー(2018年〜)の違いについて解説してきたが、新井の言う「シン読解力」は、さらに別の話だ。

ところが、PISA2012年調査でOECD内1位だった日本の読解リテラシーランキングが2015年では6位(全72の参加国・地域中では8位)と低下し、平均スコアが下がったときに国立教育政策研究所が発表した「読解力の向上に向けた対応策について」では、「国立情報学研究所・教育のための科学研究所」と連携し、高校生を対象とするリーディングスキルテスト(RST)を実施する、とある。

PISA型読解リテラシーと新井の言うシン読解力にはたしていかなる相関があるのか、定かではない。新井の言うシン読解力を上げてもPISA型読解リテラシーが上がるとは限らない。そのふたつが指すものはまるで異なる。それどころか、新井は『AIに負けない子どもを育てる』(東洋経済新報社)のなかで、PISAを「教育に対して得られる示唆が少ない」とくさしている。

にもかかわらず、教育政策に関する専門的な知見があるはずの機関でさえ、このふたつを混同したかに見える施策を提言していた。

いわんや読解力問題を追っていない市井のひとたちや政治家、行政職員などであれば、両者をごっちゃにしてしまう可能性が高い。

私は実際、文科省と国立教育政策研究所が実施している「経年変化分析調査」というテストの点数の推移のグラフを示しながら「教科書が読めない、読解力が低い子どもが増えています」と語る、読書関係のサービスを運営する事業者のプレゼンを見たことがある。

全国学力テストや経年変化分析調査は、文科省が設定した学習指導要領の理解度・消化度を問うものである。RSTとは測定している能力、評価軸が違う。そんないい加減な並べ立て方は本来、成立しない。全国学力テストや経年変化分析調査の報告書では「教科書が読めない子どもが増えている」などと書かれたことは一度もない。

なお、RSTは新井の問題意識によって2016年ごろから開発・実施されていったテストだから、それ以降のことしか比較できない。RSTを始める前の児童・生徒のシン読解力がどの程度のもので、どんなふうに変わってきたのかはわからない。測定していないから当然である。したがって「教科書が読めない」子どもの割合がむかしから多かったのか、それとも増えたのかは「わからない」としか言いようがない。つまりRSTを引いて「むかしより読解力が下がっている」と主張する論者はデタラメである。