30年以上続く「政治の迷走」はどこから始まったのか

日本政治の溶解は、土地や株の価値が異様に膨らんだあぶく経済の崩壊とともに1990年代初頭から始まった。

自民党を割って出た小沢一郎が陰に陽に政界再編の糸を操っていたのはその通りだが、一方で自民党保守政治はここから崩れ落ちていく。

ここから先の政界の混乱は今もって収拾していない。失われた時間は経済だけの問題ではなく、政治の世界も同じだ。

唐突な衆院解散から総選挙に打って出て自民党史上最大の議席を得た高市早苗政権に危うさを感じるのも、30年以上も続いている日本政治の迷走ゆえなのであろう。

高市政権で2月18日に召集された特別国会は、例年の通常国会と同じく150日を会期として始まった。振り返れば、首相の国会運営における稚拙さが際立ったというほかない。

自ら衆院解散、総選挙を仕掛けて国会の開催を遅らせておきながら、令和8(2026)年度予算の成立を急がせた。しょせん無茶なスケジュールだったのだが、加えて2月末には米国とイスラエルによるイランの爆撃が勃発し、中東のみならず世界中が大混乱に陥る。

ところが高市政権では、ただでさえ物価高騰に苦しんできた庶民などお構いなしだ。案の定、2026年度予算の成立は年度を跨ぐ。補正予算をはじめとした国内の景気対策が完全に後手にまわった挙句、国会スケジュールそのものが狂っていく。

そうしているうち当の首相自身が選挙のネガキャン動画問題で立ち往生する。首相が国会に出て来ない異常事態となり、法案審議が空転する始末だった。

そこまで混乱した裏には、国会でこれ以上の醜態をさらしたくない女性宰相の脆さが垣間見える。特別国会の150日のあいだ、高市の国会運営は史上最低と酷評される場面まであった。

そして特別国会の終盤に差し掛かって法案審議が大渋滞し、高市政権は切羽詰まって維新の会と約束した衆議院議員の定数削減審議を秋の臨時国会に先送りせざるをえなくなる。

本来の国会会期末だった7月17日を控え、同じく維新との約束である副首都構想のために8日の会期を延長した。国民民主から袖にされ、チームみらいを取り込んで辛うじて格好をつけたが、予想どおり国会採決は綱渡りだった。

大島理森元衆議院議長  撮影/内藤サトル
大島理森元衆議院議長  撮影/内藤サトル
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青森県選出の自民党衆議院議員だった大島理森(79)は、かつて国会対策の大物族議員として野党と渡り合ってきた。大島には高市政権における国会運営がどう映っていたか。まずはそこを聞いた。

「2月に大勝した総選挙の余韻の力とでもいえばいいのでしょうか、高市政権の現状はその勢いが残って成り立っているように感じます。連立した維新との約束にできるだけ早く区切りをつけたい。高市総理の国会運営の進め方には、そんな思いがあるんじゃないでしょうか。

高市総理は来年に自民党総裁としての任期を迎えます。それまでの政治手順を考えるうえの一つのポイントとして、維新との約束を果たす。

報道によればたとえば(党幹事長代行として)政権を支えてきた萩生田光一さんもびっくりしたぐらい、総理は定数削減の問題に前のめりになった。直接伺ったわけではないけれど、高市総理のご性格を勝手に推測すると、そう思います。

いい悪いの議論は別に、連立相手との約束を果たすのは政治家として当然のことと考えているのではないか。維新との約束を片づけたあと、高市政治の体制をきちっとつくりたいのだろうと見ています」

大島は第二次安倍晋三政権下の2015年4月に衆議院議長に選出された。以後2021年10月に議長として衆議院解散の詔書を自ら朗読するまで、議長在職日数は2336日を数える。

戦後生まれ初の衆議院議長であり、なおかつ歴代最長議長となる。衆議院議長退任と同時に政界から身を引いた。ちなみに2位は今年6月に鬼籍に入った河野洋平だ。

その大島は議長の職責を自覚し、官邸一強と謳われた第二次安倍政権時代の議長でありながら、森友学園問題の国会対応について次のような議長談話を発出する。

「(国会議員は)憲法に定められた精神と条文、国会法に基づいて行動していかなければならない」

森友加計問題でのらりくらりと国会答弁を繰り返してきたときの首相に対する箴言に違いない。そんな衆議院議長時代の大島にとって最大の仕事が、天皇の生前退位に関する2017年6月の特例法整備だった。のちに大島は議長会見で語った。

「国民の総意を見つけ出すことが立法府の重大な責務であり、静謐な環境で合意を最も重視した」

周知のように「国民の総意」「静謐な環境」は現高市政権で俎上にのぼっている皇室典範改正でもしばしば使われる。というより、高市政権が至上命題に掲げてきた皇室典範改正それ自体が、9年前の天皇の生前退位から議論が始まっている。だからこそ、この2つの言葉が重大な意味を持つのである。

そしてはからずもこの大島衆議院議長時代だった18年10月から19年9月まで、衆院の議院運営委員長を務めたのが、現首相の高市にほかならない。この間、高市自身は国対運営に疎いと批判されてきた。それもあながち的外れではないようだ。

「高市総理は常に勉強してますから、つい突っ走ってしまうのかもしれません。私が衆議院議長をしているときに議運の委員長に就任され、いきなり国会改革に関するペーパー(高市私案)を出しました。

記憶が定かではありませんが、閣僚の国会への出席を減らすべきだとか、議員立法をもっと増やすべきだとか、その手の話だったようにも思います。

議長のもとには議会制度協議会という諮問機関が置かれ、正式な議運のテーマとして取り上げる前の段階でそこに議題が上がってきます。高市総理のペーパーはその手前だったと記憶しています」

いわゆる高市私案が出されたのは2018年10月の臨時国会開会前のことだ。高市は29日の衆院本会議開催4日前の25日、超党派議連の「『平成のうちに』衆議院改革実現会議」の表敬訪問を受けた。

メンバーの浜田靖一や小泉進次郎らにとつぜん<議院運営委員長として実現を目指す事柄>と題したA4判コピー用紙に印字された3項目に大別された国会改革案を手渡した。

<(1)ペーパーレス化の一層の促進(2)法案審議の方法を改善(3)衆院本会議場への「押しボタン方式」の導入>

と記されている。

それが衆院議長である大島のもとへ届けられ、与野党が騒然となったのである。

問題は(2)の「法案審議の方法」だ。

ここには<国会冒頭の大臣所信に対する質疑日数を増やし、法案審議は続けて行う。会期末前に残った時間は、議員立法の審査や一般質疑に充てる>と記されていた。

閣僚である所管大臣を中心に政府が国会に提出した法案審議を優先しろというものだ。

そのために閣僚を増やすべきだという趣旨も含まれているのかもしれないが、なによりこの政府提出法案を審議する際には、法案と関係のない議論を避けるべきだという。

不祥事の追及は特別委員会を設置しておこなうべきだというもっともらしい意見なのだが、予算委員会などで安倍首相が森友加計スキャンダル対応に追われていた件を想定していたであろう。

とどのつまり、これでは国会における不祥事追及の場がなくなってしまう。そこで野党はいっせいに高市私案に反発したのである。大島が説明を加える。

「国会運営は手続きが重要なんです。だから私は高市総理に『いきなりこんなペーパーを出しても、簡単にテーブルに載せるわけにいかない。きちんと議運のメンバーを説得しなさい』と諭しました。

議運には、過去の国会法に則った慣例があります。激しい権力闘争のなかで生まれてきたルールといえばいいのでしょうか。国会はそのルールをベースに議論しなければなりません」

大島はかなり言葉を選んで慎重に話す。平たくいえば高市は国会のルールを無視していたため、門前払いになったという意味だ。

今度の特別国会の運営を顧みると、首相に就任した高市が議運委員長時代の失敗を肥やしにしているとも思えない。むしろ失敗を繰り返している。

首相が野党の質問にまともに答えず、秘書の陳述書を自らの答弁に代えようとする姿勢などは、まさしくその典型というほかない。人気の宰相は万能感に満ち、数で強引に法案審議を押し通すような姿勢ばかりが目立つ。

維新との約束を果たそうとしてきたのは長期政権を見据えているからなのかもしれないが、高支持率の女性宰相によるあまりに乱暴な国会運営に対し、野党はもとより自民党内にも相当な不満が潜んでいる。

高い内閣支持率のおかげでその不満が顕在化していないだけではないか。そう問うと大島は言った。

「総じていえば、自民党総裁、内閣総理大臣というポジションは、『私が言えば何事でも動く』という思い込みみたいなものが付きまとうように感じます。まさに大勝した余韻が依然として残り、内閣支持率もその要因となるのでしょう。

自民党内ではものを言いたくても言えない。しかし、気をつけなければなりません。たとえば消費税の扱いについていえば、自民党内には税体系の意見を持った税のプロがおられる。支持率が落ちたとき、不満の声が一挙にあがる。

自民党は大人の政党ですから今は控えているけれど、状況が変化すれば、そんな可能性は否定できません」

ここへ来て、さしもの高市人気にも陰りが見え始め、水面下の反高市の動きが顔をのぞかせている。そこは稿を改めるが、自民党を中心とした政界の迷走について、改めて大島に尋ねた。