中村は白衣を脱いだ
左岸に重機が渡って間もなく、中村がジャリババの現場にきた。
中村は、自分が指示してもいない対岸にショベルカーがあるのを見て、ハッとする。心のスイッチが入り、目に獣のような光が宿った。鈴木が呼ばれ、状況を説明すると、中村はいきなり、ずかずかと工事中の水路に入った。そのようすが鈴木の瞼に浮かぶ。
「全身に気合がみなぎって、水路のなかで、こうやって石を積めばいいんですよッ、と現場のエンジニアを怒鳴りつけ、自ら石を抱えて積もうとされました。指示どおりにやりなさい、と叱咤しましてね。僕らは怒られませんでした。
そこから先生の目の色が変わりました。現場に張りついて、僕らと一緒にダラエヌールのスタッフハウスに泊まって、現場に通うようになったんです。医療界の権威に裏打ちされたピラミッド型の世界から、みんなで一緒に汗をかかなきゃつくれない用水路の肉体労働の世界に入ってこられて、先生は解放されたようでした。大きな転換だったと思います」
中村は、30年間着た白衣を脱いだ。
2004年(平成16年)1月下旬、中村は、難関の堰の構築に挑んだ。
2月に入って、透明だった川水が雪どけの土を含んで緑がかり、増水の兆しが表れた。
中村は河原に下り、ダンプカーを誘導して、築後川の山田堰のように川上に向かって斜めに巨石と蛇籠を投入する。石が受ける水圧が弱まり、堰は延びた。
ワーカーたちは、馬車馬のように働いた。
鈴木は、蛇籠で取水口の土台をつくる。
斜め堰が川上へ延びるとともに、川水がせき上げられ、取水門のほうへ流れてきた。
2月27日の朝、突然、中村は、水門を開け、とスタッフに命じた。
午前10時、作業員が土嚢を取り除き、鈴木が膝まで水に浸かって、川水を止めていた堰板を外し、水門を開いた。川水がどっと水路に流れ込む。
水路に下りた中村は、流れてくる水を招き入れるようにゆっくり後ずさりしながら顔を上げ、
「おーい。見においでー」とワーカーたちに声をかけた。
そのシーンは、カメラマンで映画監督の谷津賢二が撮影したドキュメンタリー作品『荒野に希望の灯をともす~医師・中村哲 現地活動35年の軌跡』(日本電波ニュース社)に収められている。
数年後、谷津は「もしも水が通っていなかったら、どうなっていたでしょうねぇ」と中村に訊ねた。すると、中村は、「小指1本では許してもらえなかったでしょう。片腕1本、切り落として、詫びるしかなかった」と答えたという。
「難民が続々と帰ってきて、大勢が心待ちにしていて、水を通せませんでした、これで帰りますとは言えない。ただ、わたしも人の親、腹を切るわけにはいかない、と中村先生は、ほんとうに片腕を切り落とすような険しい目つきで言ったんです」と谷津は語った。
文/山岡淳一郎













