近代土木と伝統工法
鈴木学は、1979年(昭和54年)、群馬県の有機農業を営む農家の6人きょうだいの次男に生まれた。鈴木は中学を卒業すると、五年制の高等専門学校に進んだ。国立大学の工学部3年に編入した鈴木は、地球規模の水需要予測の研究に没頭した。
「水需要は、人口の推移や、人間1人が使う水の量などをもとに予測します。旱魃が深刻なアフガニスタンには関心がありました。アフガニスタンの役に立ちたくて、水需要を予測しようとしたのですが、できないんですよ」
そもそもアフガニスタンは正確な人口すらわからない。もとになるデータがないのだ。
「先進諸国の水需要の予測は簡単ですが、データのないアフリカやアジアの途上国の予測は非常に大雑把になる現実を知って、愕然としました。アカデミックな分野でのアプローチに限界を感じました。こうなれば実際に現地に入って、仕事をしなくちゃ、おれのやりたいことは完結しない。図書館や本屋を回って、ひたすらアフガニスタンの資料を探しました。
新宿の紀伊國屋書店で中村哲さんが書いた『医者 井戸を掘る』を初めて手に取って、マジか、こんなサムライ・ドクターがいたのかと衝撃を受けて、自分もアフガンで井戸を掘ろうと思い、ペシャワール会に連絡したんです」
鈴木は中村が待ち望んでいた人材だった。
アフガニスタンへ井戸を掘りにきた鈴木は、初対面の中村に「これを使って、村人総出で用水路をつくるんだ」と江戸時代の古文書のコピーを見せられ、びっくり仰天した。
そこには1辺1メートルほどの立方体の竹や籐を編んだ籠に石を詰めた「蛇籠(じゃかご)、ふとん籠」と、丸太を三角錐に組み上げて底辺に重石を置いて川底に固定する「聖牛(せいぎゅう)」、川岸に柳を植えた「柳枝工(りゅしこう)」の絵が描かれていたのだ。
現代の日本では、中小河川や水路のほとんどが、近代工学による改修のしやすさや、経済性を優先し、左右の側壁と川底の三面がコンクリートで固められている。これはコンクリート三面張り(三面掩蔽(えんぺい))と呼ぶが、中村の発想はそうではなく、古い工法の活用だった。
鈴木は、中村のプランに耳を傾けているうちに強く胸を打たれる。
「僕は、近代土木を学びましたが、コンクリートの三面掩蔽では川に草も木も生えないし、動物も生きられないのですごく嫌でした。石や木材、竹を使う伝統的な河川工法に惹かれていました。蛇籠は、いまも中国、台湾、アジアの山岳地帯のネパール、パキスタン、アフガニスタンでも使われています。素材が竹から針金に変わりましたが、安価で強く、地形にフィットします。最初は、いきなり用水路をつくると言われて驚きましたが、話を聞いているうちに、これだ! 中村先生は、僕がやりたかった方法で水路をつくろうとしているんだ! と感激しました。先生は、最初から確固とした水路のイメージを持っておられました」













