いい匂いといやな匂いは紙一重

藤本 私からも、千早さんにお聞きしたいことがあります。三作共通で出てくる「嘘がにおう」というのはどんな状態なんでしょうか。朔は「嘘のにおいに耐えられない」としばしば言いますが、どういうものを想像されていますか。

千早 読者の方からも聞かれたことがあるのですが、これは『透明な夜の香り』で書いた「病的な嘘つきの嘘はわからない」というのがヒントになります。……要するに人間が嘘をつくと、罪悪感による心拍数の変化や体温の上昇が起きます。自分にストレスがかかるので、ストレス臭がするんですね。罪悪感を持たない人間はまともに感情が動かないので嘘をついてもにおわない。

藤本 ああ、なるほど。

千早 でも、こうして答えを明かしてしまうと身も蓋もないし、想像していただいたほうが楽しいですよね(笑)。小説は隠すのも仕事なので。

藤本 むしろちょっといい匂いで、朔級になると見抜けるのかもと考えました(笑)。

千早 かわいい嘘はいい匂いの可能性が。朔も嘘をついている人物に好感を持てば、かわいいと思うかもしれない。『赤い月の香り』で、朔は満に、自分は臭いのかと聞かれて、臭いとは言っていないと否定します。好まない匂いがあると気が散る、と。結局、匂いは主観で、いい匂いもいやな匂いも紙一重なんだと思います。

藤本 およそ匂いというものは相対的ですから。

千早 私も犬を嗅いでは、かわいいね~臭いね~と、幸せな気持ちになっています(笑)。
 私も最後に藤本さんにお聞きしたいことがあります。『透明な夜の香り』は二〇二〇年春に刊行され、緊急事態宣言で大型書店が閉まっていたにもかかわらず結構売れました。香りの話が多くの人の目に止まったのは、むしろコロナ禍だったからかもしれません。実際、香水業界はコロナ禍に売上げが伸びたとも聞きます。藤本さんご自身はコロナ禍をどう過ごされましたか。

藤本 嗅覚がやられると聞いて、絶対に罹患してはいけないと超びびっていました。結局一度かかったんですが、それほどダメージを受けずに嗅覚を保てたのは、普段から鍛えていたためかもしれないです。でもしばらく香り作りはやめましたね。

千早 最初に取材したとき、調合師になってから鼻の中の毛細血管が増えるのか鼻血が出やすくなったとおっしゃっていて。

藤本 製品の香り検査では、一日に何十種類という香りを嗅ぎます。すると鼻の中が爆発する感覚があって……鼻血をだしながらもさらに嗅ぐ。最近はずいぶん治まりましたが。

千早 ちょっと絵になります(笑)。血を流すほどに鼻を酷使する仕事とは!

――まだ聴き足りないのですが、時間が来てしまいました。今日はおふたりに香りをめぐるさまざまなお話を伺いました。嗅覚を鍛え、言語化の力も鍛えよという、なかなかスパルタなアドバイスに満ちていましたが、やってみたいと思います。みなさま、どうもありがとうございました。

「小説すばる」2026年8月号転載

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