生き血と骸

――さっそく千早さんの新作について伺います。「香り」シリーズ三作目となる『燻る骨の香り』は、京都の香老舗・瑞雲堂を営む一族の娘・真奈(まな)が視点人物。彼女の妹で、稀有(けう)な才能を持つ調合師・丹穂(にお)の​葬儀のシーンから物語が始まります。丹穂のお骨から伽羅(きゃら)香りが立ち上って一同騒然となり……。いやおうなくサスペンス的なムードが高まるわけですが、今回京都が舞台となることで、盆地であるがゆえの暑さ寒さ、湿度の高さなどが克明に描写されていますね。この設定はどのように思いつかれましたか?

千早 実は松栄堂さんには、ずいぶん前から取材をさせていただいていました。シリーズの一作目『透明な夜の香り』の連載が始まったのは二〇一八年ですが、その頃にはお仕事をされている香場(こうじょう)にお伺いして、藤本さんにお話を聞いていました。ですが、香の世界はあまりに奥深くて結局『透明な夜の香り』には書けず、二作目の『赤い月の香り』の連載前、二〇二一年にもう一度取材に伺ったんです。松栄堂の当時の社長さんにもお会いして、気さくに「あれ見て」「これ見て」と香木などについて説明いただき、おやつまで出してもらったのに、次作の『赤い月~』にもお香の話は盛り込めなくて……。編集者から促され、今回やっと満を持して書きました。お世話になった社長さんがお亡くなりになられたのが残念です。

藤本 そうでしたね。

千早 香水を作る調香師の方の取材もしていたのですが、調合師って、まったく別ものなんです。今回は調合師の物語でもあるので、松栄堂さんに監修していただきました。

――まず調香師と調合師のちがいはなんぞやという話ですが……。

藤本 『燻る骨の香り』は、下手な入門書より相当わかりやすく書かれているので読んでいただくといいのですが(笑)、みなさん、香水とお香の最大の違いはご存じでしょうか。香水は基本的には常温で香る香りです。体温に乗って三〇度から四〇度のあいだで香りが発散される。それに対してお香は火をつけますから六〇〇度ぐらい。加熱されたときに香りを出す必要があります。香水の作り手を調香師、お香のほうを調合師と呼びます。香りによって揮発する温度は違い、燃やすことで初めて使える香りもいろいろあります。たとえば「沈香(じんこう)」は樹木からでた樹脂が凝結し、成熟した天然香木のことですが、火をつけることでいい香りが出るので、香水では表現が難しい。

千早 「香り」シリーズの小川朔(おがわさく)は、化学物質でできた人工香料をあまり使わず、植物などの天然素材を蒸留したり圧搾したりして作る精油を使う調香師です。一方お香の香原料は、いまおっしゃった香木に加えて樹皮や樹脂や生薬が多いのですが、基本的に茶色くてかさかさしてますよね。なので私は、「精油は生き血、香原料は(むくろ)」と取材ノートに書いていました。

――骸の比喩は秀逸ですね。

千早 朔は植物の生き血を吸うバンパイアのイメージです。

藤本 フレッシュさがないという意味では骸に近いかもしれないけれど、熟成されたもののよさや、エッセンスにならない不純物のよさが、お香にはありますね。

千早 そう、奥深さでは骸が上なんです。今日の着物にも松栄堂の「lisn(リスン)」というブランドのお香を焚きしめておいたら、着付けの方にいい匂いですねと言ってもらって。絹に骸を潜ませる感覚ですね。

藤本 lisnでは、香水の要素を取り入れつつもベースに必ず漢薬香料を使うというハウスルールがあり、それがこだわりですね。

――香水とお香は、使い方もですが、気持ちを上向きにする/鎮めるなど、用途も違いますよね?

千早 取材の過程でいろんな編集者と一緒に調合体験をしましたが、みんなお香には「結界」感があるという感想でした。それこそマンガの『呪術廻戦』のように、自分の範囲を広げて「領域展開」をする感じ。香水はもっと近くて自分の肌の上にある香りなので、そこにエロティックさもあるんですが……。お香はまるで能舞台のようです。

藤本 たしかに香水は服を着るように自分を香りで染める。お香は空間を染めて自分をその中に置く。使う意図が違うかもしれません。

千早 お香を寝室で焚くと一日目は強く感じ、二日目は部屋に潜みます。寝返りを打って空気が揺れると香ってくる。暗闇で香りがむくりと立ち上がってきて、まるで幽玄の世界です。話がちょっと変わりますが、お香の香原料を手に持っていると体質なのか指がじんじんしてくるんですよ。生薬でもあるからですかね?

藤本 私たちも、お香を作る製造現場ではマスクとゴム手袋をしますよ。

――製造現場というと化学の実験ラボを想像してしまうのですが、実は藤本さん、いわゆる理系のご出身ではないんですよね? 意外な気がします。

千早 日本の調香師は化学畑出身の方が多いですね。

藤本 調香師が化学構造式で話ができるのは、常温がベースだからです。熱をかけると化学構造式は役に立たなくなるので、やはり自分なりのレシピを構築しないといけない。ひたすら焚いて燃やして、香りを頭にインプットしていく勉強方法になりますね。私たちは音、温度、あるいは別の比喩で香りを表現します。

千早 たしかに調合師は味や音で香りを語りますね。かつての木造建築に比べて現代のマンションは気密性が高く、そこでお香を焚くと香りが強く残ります。それを「うるさくてしゃあない」と表現した方もいました。

――そうして製造現場にこもっているかと思えば、原料調達のために世界中を飛び回ってアクティブに動くのも、調合師さんのお仕事だそうですね。

藤本 そうなんです。小説にも出てきますが、お香の原料は日本でとれない。ほぼすべて輸入なので、板前が自分で市場に行くように、安定した原料を調達すべく責任者が自ら仕入れるんです。現地に行って買い付けをし、その場で箱詰めして送るなんてこともしています。

千早 藤本さんは冒険者なんですよ。いつも日焼けしていて、身体も鍛えていて、いつぞや香場でお会いしたら懸垂したりしてて(笑)。

――調香師の朔とはちょっと違いますかね。

千早 彼はたぶん日焼けもせず、懸垂もできなそうです……。

ふじもと・ていじ ◉ 79年東京都生まれ。株式会社松栄堂常務取締役。調合師。06年、株式会社松栄堂に入社。入社後はお香の製造に携わり、香りの原材料や調合技術を学ぶ。現在は調合師として新商品開発に積極的に取り組んでいる。
ふじもと・ていじ ◉ 79年東京都生まれ。株式会社松栄堂常務取締役。調合師。06年、株式会社松栄堂に入社。入社後はお香の製造に携わり、香りの原材料や調合技術を学ぶ。現在は調合師として新商品開発に積極的に取り組んでいる。