相手の「性別」よりも
私にはこのような経験はありませんが、実際に友達にもいました。
とても仲が良く、一緒に遊びに行くような友達だったけれど、突然告白されてびっくりし、そういうつもりではなかったので…と疎遠になってしまったという話。
大事な友達を突然失うような感覚、寂しいですし、悲しいですよね。
その友達は、告白される前日まで普通に笑って話していた相手です。何かが急に変わったわけではなく、ただ、気持ちが言葉になった瞬間に、二人の間にあったものの名前が変わってしまうのです。
「友達」ではなく「断った相手」「断られた相手」になってしまう。それが何より切ないのだと思います。
そして男女どちらも悪くないというのがさらに辛いところです。
けれど、どうしても友達にだけ「男女」が適用される感覚に納得できないのです…。
私は普段仕事で出会う方や職場で接する方を性別で判断したり、仲が良いからと怪しんだりすることはしません。世の中的にも、当たり前ですよね?
ただ、だからこそ、「友達」の場合、心の距離が近いことから「下心」という概念が忍び込んでしまう余地があるのかもしれません。
しかし、私は逆だと思うのです。
本当に親しくなるほど、相手の「性別」よりも「その人そのもの」が前に出てきます。
“げんみー”と“かずと”のことを考えるとき、私は「男の人」と思い浮かべることはありません。
旅行先で呆れるほどよく笑った夜のことや、愚痴を言い終わった後に皆で乾杯して全てがどうでも良くなったあの気持ちを思い浮かべています。
「下心がないから友達」というより、「友達になるほど、下心が入り込む隙間がなくなる」のではないかと、私は思っています。
もちろん、すべての人に当てはまるとは思っていません。
あくまでも自論です。
この問いが「結論の出ない議論」であり続けるのは、答えが存在しないからではなく、答えが人の数だけあるからなのでしょう。
その人のこれまで歩んできた人生での経験や、その環境によって大きく意見が変わるのかもしれないと思います。
だから「そういう考え方の人もいるんだなぁ」くらいで読んでいただけたら嬉しいです(笑)。
文/三谷紬
写真/SAKAI DE JUN スタイリング/石田綾 ヘア&メイク/Suzuki Mikiko












