ロシアとウクライナの対立はどこから見ればいいのか
–––––ロシアのウクライナ侵攻を理解するには、どこまで歴史をさかのぼる必要があるのでしょうか。ソ連崩壊あたりから見ればいいのか、それとももっと前でしょうか。
土井昭(以下、同) 本当に理解しようと思うなら、かなりさかのぼる必要があります。一番古いところで言えば、ノヴゴロド国やキエフ公国(キーウ公国)の時代ですね。
9〜10世紀頃、この地域には東スラブ人と呼ばれる人々が住んでいました。今のようにロシア人とウクライナ人が明確に分かれていたわけではなく、同じ東スラブ人として暮らしていたんです。
そこにノルマン人、つまり現在のスウェーデン周辺から来た人々が入り、東スラブ人を支配して国家を作ります。ノヴゴロド国を築いたのがリューリクで、その一族のオレグが南下してキエフ公国を築きました。
よく「ノヴゴロド国がロシアの起源、キエフ公国がウクライナの起源」と言われますが、実際にはどちらも同じ系統の人々によって作られた国家なんです。
–––––もともとはかなり近い存在だったわけですね。
その後この地域はモンゴルの支配を受け、独立の過程で次第にロシア側の勢力が強くなります。さらにポーランドが進出してきて、地域の人々をカトリックへ改宗させる動きもありました。
これを嫌った人たちが、ポーランドの影響が弱い東側–––––つまりロシアに助けを求めたんです。
–––––宗教の違いが政治的な勢力の選択につながったと。
ロシアはそれに応じて介入し、ポーランド勢力を追い出します。ここから見方が分かれます。
ロシアの立場からすると、同じ東スラブ人であり、「助けを求められたから支援した」という認識になります。一方でウクライナ側からすると、「一部が助けを求めただけで、全員ではない」という感覚になるわけです。
この出来事をきっかけに、ウクライナは長くロシアの支配下に置かれることになります。
–––––そこから現在につながる関係になっていくんですね。
ウクライナという国家が再び現れるのは20世紀初頭です。ロシア革命のとき、ロマノフ朝を倒すためにレーニンは各地の民族運動と協力します。その流れでウクライナの独立も一度は認められました。
ただその後ウクライナでは内戦が起こり、最終的にはソビエト勢力が勝利します。結果としてウクライナもソ連の一部となり、ソ連崩壊のときに再び独立国家として成立しました。
–––––ただ、こうした歴史的背景を理解することと、侵攻そのものを肯定することは別の問題ですよね。
もちろん。生徒にもよく言うのですが、歴史的な背景を理解することと、現在の行動をどう評価するかは別です。
直接質問された場合には、「現代社会では、先に武力を使った側が批判される」という話はします。そのうえで、歴史的背景も知っておく必要があるということですね。













