本質観取の時代をもう一度!
――最後に、『本質観取の教科書』出版以降の目標や展望についても伺えますか?
岩内 今後10年で「本質観取の時代」を実現させたいですね。いわゆる社会実装をしたいです。いつか竹田青嗣先生が言っていたんですが、独りじゃできないけれども、何人か優秀な若手が出てきたら実現可能だと。いまは稲垣さんがいて、苫野さんがいて、下の世代にも本質観取の重要性を認めてくれる若い人たちがいるので。その世代で本質観取や普遍性というものを、単に理屈だけに留まらせず、実際に社会実装していくのが目標です。
稲垣 私は理念と実践の両面でそれぞれやりたいことがあります。まずは今回、力及ばず書けなかった「ことばにとって本質観取とは何か」というテーマについて、きちんと哲学的に書いて、それを日本語教育学の礎にしたいと思っています。現象学的には言語の本質とは何か、言語教育で本質観取をやることにはどういう意味があるのかを文章として形にしたいです。
実践面では先ほども言いましたが、本質観取は日本語教育の色々なレベルで扱えるということを伝えられるように、大きなワークシートのようなものをつくりたいですね。初級のこのレベルだったらこんなトピックはどうだろうか、このレベルだったらどうするか、というのを事例も豊富に入れて書きたいと考えています。
苫野 昨年、竹田青嗣先生との対談で『伝授! 哲学の極意』(河出新書)という本を出版しました。その書き出しは、“哲学は瀕死の状態である”で始まっています。
実際、この数十年で哲学はほとんど死にかかっています。目指すべき指針や価値を打ち出せなくなり、細かな実証研究のような形で哲学者たちのことを扱うか、あるいはちょっと斜め上から物事を見て、「こんな考え方も面白いでしょ」と言うような、単なる知的遊戯みたいなものが多くなってしまった気もします。
今回の本では、「哲学の本質は本質観取である」という主張を正面から打ち出しています。真の意味で哲学が蘇るためには、本質観取の時代をもう一度再興する必要があると思うんですよね。「これこそが哲学の本当の意義なんだ」ということを改めて強く訴えていきたいです。
また、今回の本ではあまり書かなかったんですが、科学も本質観取をベースにする必要がある場合が結構多いんです。特に社会科学がそうですね。
いまはエビデンス全盛時代で、EBPM(エビデンス・ベースド・ポリシー・メイキング=根拠に基づいた政策立案)ということが喧伝されています。ちゃんとエビデンスに基づいて政策や実践をやるんだ、と。でもそのエビデンスは、果たして本当に良い社会に資するものなのか。そういうものをちゃんと測定できているんですか? 良い教育に資するようなものを測定しているんですか? という部分はほとんど問われていません。
つまり根底に哲学が無いので、とりあえず手近なものを測定してエビデンスだと言ってしまう。「それを測定することに何の意味があるんですか?」と思うような研究も多い。そんな時にこそ、やっぱり本質観取が必要になってきます。
よい教育に資するエビデンスとは何か。そもそもよい教育とは何なのか。よい社会とは何か。本質観取をベースにすることで、より本質的な研究や政策立案ができるようになるはずです。そして改めて、平和は最後の最後、対話によってしかつくり出せません。そのために微力ながら、できることを全力でやっていきたいなあという思いを新たにしました。
取材・構成/集英社新書編集部















