選手会長はなぜキャッチャーが多い?
――今言われた12球団の維持については、選手会の行ったストライキが実際に大きな歯止めになりました。ストで阻止したことで、現在の交流戦やパ・リーグの隆盛と繁栄がある。あのまま1リーグ8球団で巨人戦の放映権ビジネスに寄り掛かっていたら、野球人気はどんどん落ちていった。2004年のストのときの記憶はありますか。
当時、自分は小学生でしたけど、覚えていますね。でも選手会の存在というのは、まだ子どもだったのでよく知らなくて、プロ野球界に入った当初も分かっていなかったんです。選手会の役員となって会議に参加する中で、あらためてこういう事だったのかと理解しました。
球界再編のときのストライキは、日本球界の歴史的に見ても一番の大きな出来事だったんじゃないかと思います。古田さんをはじめ、本当に大変なことをやられたんだと感じました。
――その経緯が似ているのですが、入団会見時のヤンキースタイルから「総長」と宮本慎也(第6代目選手会会長)さんに呼ばれている會澤前会長もプロになってから選手会や労働組合の在り方を初めて知ったということでした。そこから12球団の仲間、未来の選手のために頑張ろうと決意したと。つまりまったく知識がなかったところから、選手会組織の重要さに気がついて自分の時間を削って無償で動き始めた。そういう行動に立ち向かったプロセスについて教えていただけますか。
それは出会いというか。何も知らない中で実際に選手会の会議に出てみると、本当に現役の選手たちが、自分には何の見返りも無いのに球界をより良くしたいというその気持ちから動いているのを見て、ああ、こういう事で自分のたちの権利の今があるんだと思うんです。
こうして良くなってきたんだ。だったら、自分も未来のために「やらないとな」という気持ちになって行ったんです。
――日本ハム時代から選手会の仕事もされていましたね。
そうですね。会長になる前からも会議には出ていましたけど、選手としてより年数を重ねて参加にするにあたって、これは絶対に誰かがやんないといけない仕事で、だったら自分がやろうと。
――ファイターズに入団したときのチームの選手会会長は誰だったのでしょう。
田中賢介さんですね。賢介さんも鶴さん(鶴岡慎也)もそうですし、大野奨太さん、中島卓也さんもやられていました。そういう姿を見て自分も頑張らないとと思ったわけです。
――古田、嶋、炭谷、會澤…歴代の会長はキャッチャーが多いんですよ。近藤さん自身は今、外野手登録だと思うんですが、入団時は捕手で、これで4代続いたわけです。
ポジションとして全体を見るし、責任感や人のためにというところは、その性格上あるんじゃないですかね。












