「公務中の怪我であり、治療を優先する」

右手の包帯。2026年2月1日、NHKのスタジオに、あるべきはずの姿がなかった理由は、右手の怪我であると説明された。

日曜日の朝、国民が注目する『日曜討論』。

各党の代表者が言葉を交わし、火花を散らすこの場所に、国のトップである高市早苗総理大臣はいなかった。代わりに映し出されたのは、ポッカリと空いた不在を示す空間と、代理の出席者についての説明だけだ。

「公務中の怪我であり、治療を優先する」

官房長官の説明は簡潔であり、事務的だった。それ以上の追及を、言葉の響きだけで拒絶するような冷たさを持っていた。

しかし、同じ日の午後、総理大臣は別の場所にいた。多くの聴衆の前でマイクを握り、力強い言葉を紡いでいる。白い包帯を巻いた手で、時折ジェスチャーを交えながら。

高市総理(本人Xより)
高市総理(本人Xより)
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ここに、現代の政治における、ある象徴的な光景がある。

議論の場には現れず、支持者の前には現れる。厳しい質問が飛んでくる可能性のある場所は徹底して避け、熱狂的な歓迎を受ける場所だけを選び取る。一部のオールドメディアや野党は、これを「敵前逃亡」と呼び、責任放棄であると激しく批判した。

だが、感情を排して冷静に状況を俯瞰してみると、まったく違った景色が見えてくる。これは逃走ではない。極めて高度に計算された、勝利のための「最適解」だ。

数字を見てみたい。

大手新聞社やテレビ局が行った世論調査の結果は、驚くべき数値を弾き出している。ジャッグジャパンのデータでは支持率内閣66.5パーセント。読売新聞では69パーセント。TBS系列のJNNに至っては69.9パーセントという、7割に迫る数字が出ている。特に若い世代、10代から30代にかけての支持は圧倒的だ。

テレビがなくても政治家が国民とつながれる時代

NHKの討論番組に出れば、野党はここぞとばかりに批判を浴びせるだろう。司会者は答えにくい質問を投げかけるかもしれない。そこで失言をするリスク、不機嫌な表情をカメラに抜かれるリスクを冒すことは、選挙戦術として「非合理的」なのだ。

だから、出ない。

怪我という理由は、単なる切符に過ぎない。本質は、勝つための「見送り」であろう。この手法に対し、既存のメディアは憤りを感じているように見える。自分たちが用意した土俵に、横綱が上がってこないからだ。

これまでは、新聞やテレビが「ここが議論の場所だ」と決めれば、政治家はそこに行かなければならなかった。

しかし、時代は変わった。

オールドメディアを通さなくても、政治家は国民と直接つながることができる。SNSがあり、動画サイトがあり、街頭演説がある。自分の言葉を、編集されることなく、そのまま届ける手段がある。

邪魔な質問や、意地悪な切り取り方をされるリスクのある場所よりも、自分のメッセージだけを純粋に伝えられる場所を選ぶ。

これは、情報の流通経路が変わった現代において、極めて自然な適応進化と言える。そして今、海を越えたアメリカを見れば、それが世界の潮流であることがわかる。ドナルド・トランプが再び大統領の座にある現在、彼のメディアに対する態度は、一つの「成功法則」として確立された感がある。