スターになるべくして
生まれた作家
柳原 「あとがき」に「世界文学の表舞台に躍り出た」と書きましたが、バルガス゠リョサの最初の長篇小説『都会と犬ども(街と犬たち)』(一九六三)は、スペインのセイクス・バラールという出版社がプロモーションとして始めた賞(ビブリオテカ・ブレベ賞)に応募して受賞したものです。賞金もさることながら、初刷りもかなりの部数を刷ったそうです。
いとう 大キャンペーンですね。
柳原 出版社がキャンペーンとしての文学賞をつくったり、エージェント制度が確立してきた初期の頃に、ちょうどバルガス゠リョサはデビューしたんですね。もちろん作品そのものも面白いのですが、文学市場においてつくられたアイドルという感じはありますね。
いとう それって、いかにもリョサっぽい感じがあります。
柳原 しかも、その後も実にたくさんの賞をとっている。長篇第二作の『緑の家』(一九六六)は、ベネズエラのロムロ・ガジェーゴス賞の第一回受賞作です。『世界終末戦争』(一九八一)は、一九八五年に国際文学賞リッツ・パリ・ヘミングウェー賞を受賞しましたが、これも第一回の受賞者です。
また、セルバンテス賞というスペイン政府が主催する賞があり、それは業績に対して与えられる賞なのでベテランが多いのですが、バルガス゠リョサは最年少で受賞した(一九九四年、五十八歳)。そして、二〇一〇年にはノーベル文学賞。文学賞ハンターというのでしょうか、そういう感じですよね。
いとう 容姿もイケてるし、スターになるべくして生まれた感じはありましたね。一時は大統領になろうとしたわけだから(一九九〇年ペルー大統領選に出馬したが、アルベルト・フジモリに敗れる)。
柳原 バルガス゠リョサは歌手のフリオ・イグレシアスの元妻、イサベル・プレイスラーと愛人関係だったのですが、そのプレイスラーが最近回想録を出して、バルガス゠リョサからもらった手紙を公開したんです。それを読んだサンティアゴ・ロンカリオーロというもっと若い世代のペルーの作家が、ガルシア゠マルケスの『コレラの時代の愛』以来、こんなにロマンチックなラブレターは読んだことがないというぐらい、ものすごくロマンチックな手紙を書いていたらしい。
彼女とは、ちょうどこの『沈黙をあなたに』が出た頃に別れたようですが。
いとう じゃ、最後は一人だったんですか。
柳原 そうですね。多分この本を書き上げた頃にはある程度死を覚悟していたのだと思います。
いとう なるほど。身辺の整理をしていたというところもあるのかな。
ラテンアメリカ文学ブームを
振り返る
柳原 日本でラテンアメリカ文学がブームとなったのは、『集英社版 世界の文学』(全三十八巻、一九七六~七九)でラテンアメリカの作家たちの作品を積極的に採り入れたことがきっかけの一つだと思います。その後、そこに収録された作品を中心に新たに『ラテンアメリカの文学』(全十八巻、一九八三~八四)が編まれ、ブームが加速したわけですね。ちょうどその『ラテンアメリカの文学』の企画が持ち上がっていた頃(一九七九年三月)、バルガス゠リョサは国際ペンクラブ会長として来日しています。
いとう 『ラテンアメリカの文学』が出ていたのは、日本でラテンアメリカ文学がめちゃめちゃ盛り上がっていたときですね。
柳原 そう、ガルシア゠マルケスがノーベル文学賞を受賞したのが一九八二年ですからね。
いとう 一群のラテンアメリカ文学は、日本の作家にもかなり影響を与えたし、世界的にもやはり大きな影響があったわけですよね。
ところで、この『沈黙をあなたに』は遺作、最後の作品ということになるわけですが、リョサの作品でまだ日本で翻訳されていないものはあるんですか。
柳原 いや、小説は全部翻訳されています。ただ、現在品切れになっているものもあって、なかでも『パンタレオン大尉と女たち』(一九七三)という作品が、ぼくは結構好きなんです。
いとう どういう風に好きなんですか。
柳原 ペルーのアマゾン地帯で軍の連中が地元の女性たちに性暴力をふるうなどいろいろな問題を起こすので、軍がパンタレオンという大尉に、民間人のふりをして軍人向けの売春宿をつくれと命令する。パンタレオンは忠実に任務を遂行して成功するのですが、あまりにも真面目にやるものだから、地元のラジオ局にネガティブキャンペーンを張られて破綻するという話です。
映画化が二度(一九七五年、二〇〇〇年)ほどされている。二度目のものが『囚われの女たち』というタイトルで、今DVDが日本で手に入ります。時代を感じさせる内容ですが、一度授業でその映画を学生に見せたら結構評判よかったですね。
いとう へえ、面白そう。
柳原 それこそ『ラ・カテドラルでの対話』(一九六九)のような、会話の中で一行進むと次にいきなり場面が飛んじゃうという技巧もある一方で、軽いユーモアがあって、バルガス゠リョサの一つの転換点だとみなす人もいる小説です。
いとう その前の『緑の家』とか『ラ・カテドラルでの対話』などの真面目路線から、『フリアとシナリオライター』(一九七七)のユーモア路線へ行く最初の作品ということですね。
柳原 『パンタレオン大尉と女たち』と『フリア~』は七〇年代半ばで、その頃にちょっと軽い感じになったわけですね。















