メリットも権威もなかった「第1回日本レコード大賞」

1959年12月16日。デビュー曲『黒い花びら』がレコード大賞に選ばれたという知らせを聞いた歌手・水原弘が、「レコード大賞? なんだい、それ」と言ったのは有名な話だ。

ジャズ界のスターで、演奏旅行中の名古屋にいた作曲者の中村八大もまた、「おめでとうと言われても何のことだか分からなかった」という。

水原弘のデビュー曲『黒い花びら』は、レコード大賞で今でも唯一のデビュー新人の大賞受賞作だ。写真は『ゴールデン☆ベスト 水原 弘 [スペシャル・プライス]』(2021年6月9日発売、UNIVERSAL MUSIC)のジャケット
水原弘のデビュー曲『黒い花びら』は、レコード大賞で今でも唯一のデビュー新人の大賞受賞作だ。写真は『ゴールデン☆ベスト 水原 弘 [スペシャル・プライス]』(2021年6月9日発売、UNIVERSAL MUSIC)のジャケット
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「第1回日本レコード大賞」が始まった時、そこにはまだメリットも権威もなかった。その日の夕刊に次のような新聞記事が載ったことで、歌謡曲の顕彰制度ができたことが初めてニュースになったのである。

初の日本レコード大賞決まる 「黒い花びら」に授賞
童謡賞は「やさしいおしょうさん」
歌唱賞はフランク永井

1年間にレコードを通じて発表された歌謡曲・歌曲・童謡の中から、最優秀の作品を選考する初の日本レコード大賞は、日本作曲家協会所属の作曲家76人がめいめい自信のある曲を一曲ずつ提出した中から、審査委員会(増沢健美委員長ほか16人)が2日間にわたって審査の結果、大賞は「黒い花びら」(東芝)と決まり、作詞・永六輔、作曲・中村八大、歌唱・水原弘の三人に東郷青児デザインの金色のタテが贈られ (中略) 年末に行われる授賞式(会場は未定)の実況はラジオ東京テレビから中継される。

日本レコード大賞を始めたのは、日本作曲家協会。服部良一と古賀政男を筆頭とする作曲家たちだ。アメリカのグラミー賞にならって制定した動機は、世界に通じる「新しい日本の歌の育成」にあった。

それは歌作りのレベルアップを目標とする純粋なものだった。作曲家たちは自ら一念発起して、日本作曲家協会を発足させた。そして大衆音楽のレベルを上げようと、作詞家や歌手の奮起を促して立ち上がったのである。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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しかし、目先の利益や売上にしか目が向いていないレコード会社の経営者や首脳陣は、その趣旨を理解しようとしなかった。なかには「我々の作品に順位をつけるのか」と怒り出すレコード会社幹部もいた。

共催を申し込んだ日本レコード協会からも断られてしまった。協賛を求めたテレビの民放各社も、「メリットがない」と冷やかな対応だった。

そのなかで唯一、賛意を示したのはラジオ局を併せ持つラジオ東京テレビ(現TBS)である。

結果的には、このことが後にTBSの独占中継へとつながり、年末の『NHK紅白歌合戦』へ続く人気番組になっていく。だが当初は世間一般だけでなく、音楽の仕事に関わっている人たちの関心も薄かったのだ。

発足したばかりの日本作曲家協会には原資がない。日本レコード大賞の運営資金は、東京放送が60万円、レコード各社が3万円、雑誌の「平凡」「明星」が各3万円を負担して行われた。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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不足した分については、運営委員長を引き受けた古賀政男が私費で穴埋めしたともいわれている。