人類史のはじまりとともにある街娼

2025年4月中旬、東京・新宿歌舞伎町の最深部に位置する「大久保公園」界隈には、その日も昼から数名の街娼(立ちんぼ)が客待ちしていた。

夕方過ぎ、隣接するラブホテル街へと範囲を広げる形で人数は増える。偶然、しばしの交渉後に連れ立って歩き出す若い女性と中年の外国人男性を目撃した。ふたりはラブホテルのなかへと消えていく。

ここにもインバウンドの流れがあるようだ。街娼歴7年の30代女性はその背景について、「テレビとかで“交縁”が有名になっちゃった。だから最近は(警察による)取り締まりがキツいんだよね。外国人だと、警察じゃないから安心なんじゃないかな」と話した。

同地での売買春は交縁と呼ばれている。公園で交渉——その公と交をかけて、さらに女性と「縁を結ぶ」という意味だ。

こうして新語まで生まれているように、いまや売買春の“聖地”と化している「大久保公園」界隈はどのような道のりを辿ってきたのか。そもそも街娼のはじまりは——ルーツを調べた。

大久保公園(写真/PhotoAC)
大久保公園(写真/PhotoAC)
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街娼のはじまりをひもとこうとしても、起源ははっきりしない。歴史を辿ると人類誕生までさかのぼってしまうからだ。性風俗研究家の松沢呉一さんはこう話す。

「売春は人の本能に根づくものです。一般的には“立君”というのが定説ですが、人類の歴史のはじまりとともに売春の歴史もはじまっていたと考えると、同時に街娼も誕生していたことになります」

立君といえば、足利尊氏によって京都に新たな幕府が設立された室町時代、その名前の由来にもなった上京(現在の京都市上京区、中京区の一部)の室町通の路上で客を取った遊女のことだ。

野田藤八郎によって1744年(延享元年)に刊行された『七十一番職人歌合絵巻』には、店で春を売る「辻子君」と合わせてその存在が記されている。

写真はイメージです(写真/PhotoAC)
写真はイメージです(写真/PhotoAC)

松沢さんは街娼について、こう定義する。

「不特定多数が通行する場で本人が客に声をかけ、あるいは客に声をかけられて交渉して売春をする娼婦のうち、娼家等に属さず、個人売春をする者たちのことです」

この定義による街娼は、室町時代の「立君」以降も多くの文献に記録されている。江戸時代には公認された娼——公娼が働く吉原遊廓は1617年につくられたが、その値段から高嶺の花であったことで、元禄年間(1688〜1704年)の後期になると、庶民は内藤新宿、品川、板橋、千住を主とする公の許可を受けていない売春婦が多くたむろする場所——岡場所——いわゆる私娼窟で遊んだ。

しかし、その私娼窟も天保の改革で潰される。そこで大繁盛したのが“夜鷹”である。