信頼が妊娠を後押しする。家族以上に寄り添う現場

──複数の事業を立ち上げてきた経験が、「患者さんファースト」という視点を育んだ面もあるようにも感じます。

そうですね。開業から1年ほど試行錯誤するなかで、不妊治療はある種の「コミュニケーションビジネス」だと気づきました。

医療技術や治療成績がよければ患者が集まると思っていた時期もありましたが、実際にさまざまなクリニックを分析すると、不満の多くは「待ち時間が長い」「先生が上から目線」「質問を聞いてもらえない」といった対応面に集中していたんです。

ビジネス的な視点から見ても、こうした点を改善するだけで他のクリニックとは差別化ができるなと。当院では初診前に専任カウンセラーが丁寧に悩みの聞き取り、診察後も「先生に聞けなかったことはなかったか?」などフォローするなど、患者さまの不安を取り除くことに注力しています。

──そのような寄り添う姿勢は、妊娠という結果にも影響しますか?

そう感じています。当院の複数のドクターに「妊娠の切り札は何か」と尋ねたところ、全員が口をそろえて「患者さんとの信頼関係を築くこと」と答えました。科学的な裏付けがなくても、安心して任せられる状態になると、ある日ふっと妊娠することがある。それほど、安心感は大きな力を持っているのです。

だからこそ、私たちはスタッフ全員が「家族以上に患者さんに寄り添う」姿勢を大切にしています。

残念ながら不妊治療には厳しい現実があります。つまり患者さまが「今日でやめよう」と妊娠を諦めたその日に「スタッフが本気で並走してくれた」、「一緒に最大限努力できた」と感じてもらえる医療でありたい。

その積み重ねが、結果として妊娠率の向上へとつながっていると考えています。

──スタッフ全員が思いやりを持ち続けるために、どんな仕組みを整えているのでしょうか。

これは採用が全てです。当院では採用率を非常に厳しく設定しており、看護師の場合は100人に1人ほど。転職してきたドクターからも「ここはスタッフの姿勢がまったく違う」と驚かれます。

感受性の高い人は、自然と患者の気持ちを察して寄り添うことができる。そうした素養のある人なら、細かい教育はほとんど必要ありません。逆にその素地がない人は、どれだけ教育しても変わらない。だからこそ「採用」がもっとも重要なのです。

診療は22時まで、駅直結、全国80院構想──「妊娠の切り札は技術ではなく」にしたん社長“不妊治療のインフラ”をつくる挑戦_3

全国のどこでも、誰もが不妊治療を受けられる社会へ

──今後の展望を教えてください。

目指しているのは、「誰もが、どこでも、高度な不妊治療を受けられるインフラ」を整えることです。現在は全国をカバーできるよう80院規模の展開を計画しています。課題は医師の採用ですが、確保さえできれば出店はすぐにでも可能です。採用のスピードと合わせて拡大を進めていきたいです。

同時に、AIの活用にも力を入れています。カルテ入力などの事務作業をAIが担うことで、医師が1時間に診られる患者数を倍にすることが可能になる。将来的にはAIを活用した診療支援の実用化を目指しており、AI医師が人間と遜色のないリモート診断を行う未来を想定しています。2026年にはその実用化に向けて、本格的に取り組む予定です。

実現すれば、医師不足に悩む地方への展開により、都心部同様の質の高い不妊治療を受けられる時代が来るでしょう。この構想の実現目標は3年。完成した仕組みは他の医療機関にも開放し、ともに活用してもらいたいと考えています。ひとりでも多くの人が安心して治療に向き合える社会のために、最前線で挑戦を続けていきたいです。

取材・文/福永太郎
写真/石田壮一