びんつけ油のサンタクロース

北の富士さんの、ほっこり温まるエピソードがあります。これも、親友の田中さんが語ってくれた、とっておきの思い出話です。半世紀以上経っても忘れることのできない、まるでドラマのような出来事でした。脚本も主演も、もちろん北の富士さんです。ある年のクリスマスでした。

「僕の子どもが4歳でした。北の富士さんがまだ現役の頃、彼が電話をかけてきて、『田中さん、今夜どうしてる?』って言うから、『今日はちょっと付き合えないんだよ。クリスマスだから』って答えたんです。『そうか、家族サービスだな』って。それで電話は終わったんですね。

そうして家にいたら、子どもが突然、『庭にサンタさんがいる』って言い出したわけですよ。

なんと、サンタの恰好をした横綱でした。子どもは大喜びですよ。プレゼントを持ってきてくれましてね。まあ、ともかくそんな人でした。写真を撮ったんだけど、子どもにピントを合わせて、横綱の首から上が写ってないんですよ。僕が慌てていたんですね。それから、しばらくして『サンタさん帰るからね』って出てったんです。さて、20分後ぐらいでした。ピンポーンって玄関から入って来た。横綱が着物に着替えてね。少しふたりでしゃべってたら、子どもが言うんですよ。『サンタさんと同じにおいがする』って。

横綱の引退相撲の時に、花束贈呈の役でその子を土俵に上げてもらいました。後援者からは、『なぜ田中さんの子どもが?』って言われましたけどね。その息子も、今はもう50を過ぎました。もちろん、当時の北の富士さんのことはよく憶えていますよ」

兄に戻って

現役の頃は、妹の信子さんでも、北の富士さんになかなか会うことができませんでした。

親方として部屋を持っていた時代もそうです。ところが、相撲協会を離れてからは、兄妹の付き合いも戻りました。

「解説者になってからは、電話をくれるようになったり、酒田にも来てくれたり、会う機会が増えました。親族みんなで集まるようにもなりました。集まると、もちろん話の中心は親方でしたね。いつも笑わせてくれました。やっぱり話し上手なんですよね。

私もテレビで姿を見ていますから『今日の着物は素敵だった』とか『革のジャケットもよかったよ』なんて電話をしたりもしました。でも『で、何の用だ?』って言って、すぐ終わっちゃうんですけどね。機嫌がいいと自分から電話をかけてくるんですよ。『山形の寒鱈(かんだら)を送ってくれ』とか……。魚を送ると、両国の馴染みの『梁山泊』に持ち込んで、さばいてもらっていたようですね。甘いものも好きでした。鶴岡の木村屋さんの『古鏡(こきょう)』は大好きでしたね」

私も、「梁山泊」で、身が締まり脂の乗った寒鱈をいただいたことがあります。

「美味い寒鱈が届いたから、藤井さん、何人かで集まろうかね?」

もちろん遠慮もせず、若いアナウンサーを連れて参上しました。元気な頃の北の富士さんは、どんな種類のお酒に対しても横綱相撲でした。もちろん食欲も旺盛で、「梁山泊」の分厚いステーキは北の富士さんの定番メニューでした。

親方という立場から解放されて、ひさしぶりに兄妹のつながりが戻りました。北の富士さん自身も、これまでの空白を埋めるため、頻繁に酒田市の信子さんのもとを訪ねました。

「テレビで見る解説者の親方と普段の親方に変わりはないです。私たちにもあんな感じです。言いたいことを言っているなと思って見ていましたけど、それがよかったみたいですよね。店に来てくれる常連客の人たちも、親方の解説を好きな人が多かったです。

引退して親方になっても、いつもまわりに人がいましたよね。そこに『兄さん』って声をかけるのも気が引けるし、『親方』って呼んでいました。それも、少し寂しい気持ちはしていましたね。これから、もっとゆっくりと兄妹として過ごしたかったので、それができなくなって残念です」

北の富士さん御用達の『梁山泊』にて。(写真提供/藤井康生)
北の富士さん御用達の『梁山泊』にて。(写真提供/藤井康生)

『粋 北の富士勝昭が遺した言葉と時代』刊行特集一覧

【「はじめに」試し読み】 死去の報道から1年。52代横綱・北の富士勝昭さんが上京した日に生まれた不思議な縁

【「1章 出会い」一部試し読み】 昭和32年1月7日の上野駅。14歳の少年と「赤いダイヤ」が入った3つの麻袋の上京物語

【「8章 語りの天才」一部試し読み】 妹、親友、行きつけの店主と女将が語る、素顔の北の富士の「粋」な男っぷり

絶賛発売中。舞の海秀平さんとの特別対談も収録

妹、親友、行きつけの店主と女将が語る、素顔の北の富士さんの「粋」な男っぷり_3
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2024年11月12日、82歳での別れから1年。
「第52代横綱」として、「千代の富士と北勝海、2人の名横綱を育てた九重親方」として、「NHK大相撲中継の名解説者」として、昭和・平成・令和と3代にわたり、土俵と人を愛し続けた北の富士勝昭。

大相撲中継で約25年間タッグを組んだ、元NHKアナウンサーである著者が書き残していた取材メモや資料、放送でのやりとりやインタビューなどを中心に、妹さん、親友、行きつけの居酒屋の店主など、素顔の故人を知る人物にも新規取材。「昭和の粋人」、北の富士勝昭の魅力あふれる生涯と言葉を、書き残すノンフィクション。

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文/藤井康生
※「よみタイ」2025年11月30日配信記事