大量の死者を出したジャガイモ飢饉

人口の増加と、限られた作物に依存する暮らしは、人々を飢饉にさらすことになる。産業革命以前のヨーロッパでは、悪天候の影響などで、飢饉は定期的に発生していた。

ただし、その多くは人口が多い時期に集中しているのが特徴だ。逆に、14世紀のペスト(黒死病)以降の2世紀のあいだは、飢饉の発生が少なかった。このパンデミックによって多くの人々が命を落とし、生き残った人々には相対的な豊かさがもたらされたと考えられている。

産業革命以降、少なくともヨーロッパでは飢饉はまれになった。もっとも、完全になくなったわけではない。近代以降の飢饉は、自然災害というよりも、むしろ専制政治や失政によって引き起こされるか、少なくともそれによって深刻化する傾向がある。たとえば、初期の共産主義下のソ連や中国の「大躍進政策」によるものが挙げられる。

なかでも特筆すべき例が1840年代のアイルランドで起きた「ジャガイモ飢饉」だ。このとき、ジャガイモは「ジャガイモ疫病」を引き起こす糸状菌症病原体フィトフトラ・インフェスタンスに感染し、壊滅的な被害を受けた。この病気は当時ヨーロッパ全域で猛威をふるっており、現在もなお存在しているが、アイルランドでは被害が特に深刻だった。

ジャガイモ畑が枯れてしまうイメージ
ジャガイモ畑が枯れてしまうイメージ

その背景には、悪天候、大勢の人々が単一の作物に過剰に依存していたこと、土地を放置したまま利益だけを吸い上げる、イギリス人の地主たちによるひどい土地管理、そしてロンドンの政府による冷淡な対応があった。その結果、何百万人もの人が飢餓で命を落とし、さらに多くの人々がアメリカをはじめとする海外へと移住した。母国の人口は激減したのである。