「おじさんかわいそう報道」の潮目が変わった瞬間
この頃の世間は、おじさんやおばさんの味方だった。リーマンショックによる「派遣切り」もあり、企業への怒りが社会全体に渦巻いていたのだ。
ところが、経営者たちは「追い出し部屋はダメか。ならばこれで!」と、希望退職という名のリストラを拡大させた。これにより「おじさんかわいそう報道」の潮目が変わった。
「希望」という言葉の響きからか、高額な退職金への嫉妬なのか、いつしか「おじさん=気の毒な人」という同情的な空気は激減する。それに変わって台頭したのが「中高年にとって新たなキャリアをスタートするチャンス」「会社に依存しない自立したキャリアが求められる時代になった」といった識者たちの論調だった。
しかし、現実はそんなに単純ではない。
ターゲットにされた人たちは、屈辱感、孤立感、そして不安感に苛まれていた。リストラへの恐怖は逆に会社への依存を高め、長時間労働、過重労働に拍車がかかった。過労死に追い込まれるまで働いてしまう会社員も増えた。
にもかかわらず、「ピーターの法則」にとらわれた高みの見物のような経営者たちは愚行を続け、中高年リストラへの世間の関心も急激に失われていった。
それどころか「リストラやむなし」という風潮から「自己責任」論まで強まってしまったのだ。
新語「働かないおじさん」はなぜあれほど濫用されたのか
そうした世間の流れにお墨付きを与えたのが、2013年1月に設置された政府の諮問機関「産業競争力会議」だ。
会議では、「大企業で活躍の機会を得られなくても、他の会社に行けば活躍できる人材は少なくない。『牛後となるより鶏口となれ』という意識改革のもと、人材の流動化が不可欠だ」という提言がなされた。他の委員たちもこれに賛同し、〝人材の過剰在庫”という信じられないほど下品な言葉で、50歳以上を排除することを正当化したのである。
メディアにも「持て余す中高年の処遇」なる見出しが躍るようになり、「使えないおじさん」「ただ乗り社員(フリーライダー)」「職場の妖精」「ヤフー検索おじさん」「働かないおじさん」といった新語が、まるで流行語大賞を狙うかのように濫用された。
真の病巣は社員の犠牲の上に成り立つような、冷酷な経営手法に手を染めた経営陣にあるにもかかわらず、「働かないおじさん」のようなわかりやすい言葉を使うと、あたかもリストラされる側に問題があるように世間は錯覚する。テレビ、新聞、SNSといった情報拡散装置は、人々の固定観念形成に絶大な影響力を持つ。
その証明さながらに、若者たちは「働かないおじさん」というマジックワードで、会社への鬱屈の矛先を中高年に向けた。30代の大企業エリートの中には、脱・昭和を掲げる自分たちの正義として、「働かないおじさん」を排除しようとする空気も感じられた。
かくして中高年のイメージは負のステレオタイプへと進化を遂げ、その行き着く先が「40代以上のおじさん・おばさんは叩いてオッケー」という、極めて陰湿な暴力の肯定なのだ。













