立憲の「パフォーマンス」は無料ではない
「政治的利点を得るためだけ」「パフォーマンスの場」「実質を提供しない」…これほど現在の立憲民主党議員の行動を的確に表現する言葉があるだろうか。
この「パフォーマンス」は無料ではない。マーティン氏の論文は、議会質問が持つ「資源への影響」、すなわちコストについても触れている。
国会の一分一秒は税金で賄われている。英国下院の試算によれば、口頭質問1分に平均£410(約8万円)のコストがかかるという。日本も同様だろう。
池田議員が「クマ発言」に30分を費やし、西村議員が「奈良の鹿」に15分を使ったとき、その無益な政治劇のためにどれだけの税金が蒸発したのか。これは単なる無能ではなく、国富の浪費である。
無論、マーティン氏の論文は議会質問の「官僚機構の説明責任」や「選挙区の利益代表」といった肯定的な機能も強調している。
ゴシップ誌を読んでいる立憲議員
議員が地元選挙区の特定の陳情や、公共事業における行政の不備について詳細なデータを要求する質問は、民主主義の重要な機能である。
それには地道な「探偵作業」、すなわち調査、データ分析、法解釈の深い理解が求められる。それこそが有権者が求める「実質」である。
だが、立憲民主党の行動は真逆である。彼らは探偵作業をしているのではない、ゴシップ誌を読んでいるのだ。官僚機構の説明責任を追及しているのではない、メディアが喜ぶ見出しを追及しているのだ。
彼らは、骨の折れる監視と代表の仕事を放棄し、「パフォーマンス」という安直な道を選んだ。これこそが彼らの堕落の核心である。
さらに深刻なのは、彼らが些末なゴシップだけでなく、日本の安全保障という「実質」ある議題に触れた際の対応である。
立憲民主党の大串博志議員は、台湾有事に関する高市首相の「存立危機事態」答弁に対し、ひたすら「撤回」と「修正」を求めた。
だが、小泉進次郎防衛大臣が「(立憲民主党の皆さんが)何を求めているのか、私にはよく分からない」と困惑したように、大串議員の要求は安全保障政策の現実を踏まえた対案ではなく、ただ政府の答弁を封じ込めようとする党派的な妨害に終始した。













