2種類の老年期
いまから20〜30年ほどのあいだに65歳になる人には、前の世代にない利点がある。数の力が発揮される点だ。これは大きなチャンスをもたらす一方、大きな責任もともなう。私たちには、できるだけよいかたちで歳を重ねる責任がある。
また、1人で老いるわけではないからこそ、人間として可能なかぎり、できるだけ多くの人がよいかたちで歳を重ねられるよう努めなければならない。
率直に言おう。21世紀に入って、2種類の老年期が増えることが明らかになってきた。健康で裕福な人の老年期と、金銭的な余裕がなくて体も不自由な人の老年期だ。十分な教育を受け、経済的にも安定している人々は、驚くほどの健康体で歳を重ね、引退後の日々を満喫できるだけの資産を蓄えている。
旅行するもよし、読書するもよし、世界的に有名なダンスグループの公演を見に行くのも、孫のバレエ・リサイタルに参加するのもよし。
一方、社会的な利益を享受できず、教育も十分に受けていない人たちは、病気になったり、障害を負ったりする可能性がはるかに高く、日々の生活にも苦労している。最低限の生活を送るために家族に頼らざるをえない場合が多く、本人だけでなくその家族もあまり余裕がない場合が少なくない。
お金がないと、生活の質が下がるだけではなく、究極の代償を払わなければならない。人生から時間が奪われるのだ。いままでもずっとそうだった。
富裕層に真っ先に届く進歩は、やがてあまり豊かでない層にも届く。とはいえ、トリクルダウンモデル[富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透するという考え方]が多少機能するからといって、恵まれない人たちのことを考えなくてよくなるわけではない。
最富裕層と最貧困層のアメリカ人における平均寿命の差は、ここ20年間で2倍近くになり、1980年代前半には2.8年だったが、2000年代前半には4.5年となった。
人口グループのあいだの最も極端な例を挙げると、いまアメリカで暮らしている富裕層の白人女性は、貧困層の黒人男性と比べて、平均すると14年も長生きする。私たちはみんなで進歩し、長生きになったが、その恩恵がふたたび富裕層だけのものになる可能性が高い。
本当の意味で先を行く社会の活力というのは、気力に満ち、健康で、教育の行き届いた人々から生まれる。みんなが繁栄するときに社会は繁栄する。世界の生活水準を絶えず改善していけるようにするには、あらゆる人に健康長寿の見込みがある世界を築く必要がある。














