「人生で3回宝くじが当たる」理想のライフプラン
ある地方女子短大でのことだ。ある講師が学生たちに「理想のライフコース」を書かせたところ、「就職」「結婚」「出産」と並んで、「宝くじが当たる」と書いた学生がいたという。そこでその先生に学生のレポートをコピーしてもらって見ると、そのような学生が何人もいたので驚いた。
中でもある女子学生は、生涯で3回も宝くじが当たる〝人生設計〞を描いていた。
1回目の当せん金は、結婚後マイホームを購入するのに使う。
2回目の当せん金は、子どもの大学進学費用に充てる。
3回目の当せん金は、夫の定年後、夫婦で海外旅行に行く費用に充てる。
こう聞けば、多くの人は思わず笑ってしまうだろう。「そんな都合の良い人生があるか」と。正直、私も最初に聞いた時は失笑してしまった。だが、同時に考え込んでしまった。確かにこれは非現実的な〝夢物語〞である。
しかし、注目すべきは、これは〝理想のライフコース〞であるという点だ。もし彼女に投げかけられたのが「現実的なライフプランを描け」ならば、彼女だって3回も宝くじが当たるなどとは書かなかったはずだ。
だけど、お題は「理想を描け」だったから、絶対にありえないことだとはわかっていたが、彼女なりの願望を書いた。その夢を、私は笑ってはいけない気がしたのだ。
このエピソードを理解するための重要な鍵がある。それは一見夢見がちな彼女こそ、現実のシビアさをよくわかっているということだ。小さな地方都市の短大卒の彼女が、結婚してマイホームを手に入れ、子どもたちを塾に通わせ、全員を大学に進学させ、正社員として定年まで勤め上げた夫と、定年退職後にのんびり海外旅行を楽しむ〝ライフプラン〞が実現する確率は、決して高くはない。
そんな高収入が期待できる若い男性は、地方から消えつつあった。それを彼女はよくわかっていた。
このエピソードに私が一種のもの悲しさを感じてしまうのは、かつての日本には、これが〝夢〞でない時代が確かにあったからだ。もちろんこのプランをすべての人が実現できたわけではない。だが、少なくとも十分に夢見る価値のあるプランだった。なにも人生で宝くじが3回も当せんしなくても、このライフプランのうちいくつかは、本人たちの努力で叶えることができた時代が、かつての日本にはあった。













