「言語的ハラスメント」の典型例
今回の立憲民主党議員の行為は、まさにこの「言語的ハラスメント」の典型例と言えよう。高市首相が演説を中断し、呆れた表情を見せた瞬間こそ、ヤジを飛ばした議員たちの狙いが一時的に達成された瞬間だったのかもしれない。
しかし、そのような手法で得られるものは何もない。国民の冷ややかな視線と、政治への深い不信感という、取り返しのつかない代償を支払うだけの、愚かな行為である。
さらに、この種のヤジは、複数の人間が同時に無秩序な発声を行う「ポリローグ」という状況を生み出す。そこでは、論理的な議論は完全に失われ、感情的な言葉の応酬だけが残る。
「統一教会」「裏金」といったレッテル貼りに終始するのは、政策の細部を検証し、建設的な対案を示すという、野党本来の役割から逃避している証左にほかならない。
議論ではなく混乱を、対話ではなく断絶を、意図的に生み出す
彼らは、議論ではなく混乱を、対話ではなく断絶を、意図的に生み出しているのである。
ただし、ヤジを飛ばした議員たちの愚劣さを糾弾する一方で、高市首相の政治姿勢に対しても、冷静かつ批判的な視線を向けねばならない。言論の場を破壊する行為に反対することと、政権の政策を無条件に支持することは、全く別の問題であるからだ。
まず問われるべきは、政治家としての信念の一貫性である。首相就任前にあれほど強硬に主張していた靖国神社への参拝を、就任後あっさりと見送った。これは、首相という立場を得るための手段として、保守層の支持を利用しただけではないかとの疑念を抱かせる。
支持者への裏切りと受け取られても仕方のない行動であり、国家観の根幹に関わる問題での変節は、政治家としての信頼を大きく損なう。
経済政策においても、国民の期待に応えているとは言い難い。所信表明演説では物価高対策を最優先課題としながら、その具体策には疑問符が付く。
ガソリン減税を掲げる一方で、来年4月からの増税を既定路線とし、積極財政として赤字国債の発行も視野に入れているという。
減税して増税するのでは、国民生活の負担は結局変わらない。これは、痛みを先送りし、将来世代にツケを回すという、旧態依然とした政治手法からの脱却を期待した人々を失望させるものだ。













